TOSHI

今夜、ロマンス劇場でのTOSHIのレビュー・感想・評価

今夜、ロマンス劇場で(2018年製作の映画)
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映画から出てきた、白黒のお姫様というコンセプトが秀逸だ。虚構である映画の本質や、存在する筈がない物を存在するかのように見せる事ができる映画のメリットが活かされている。映画の登場人物が現実に現れるという意味では過去にも、「カイロの紫のバラ」(ウディ・アレン監督)等の作品があったが(同作にもヒントを得ているらしい)、現実との対比で白黒なのが鮮烈だ。

1960年、大衆の娯楽が映画からカラーテレビに移りかけた時代、撮影所で助監督を務め、映画監督を夢見る健司(坂口健太郎)は、いつも通っている映画館・ロマンス劇場の映写室で、古いモノクロ映画「お転婆姫と三獣士」のフィルムを見つけ、ヒロインのお姫様・美雪(綾瀬はるか)に恋をする(オズの魔法使いのオマージュ的な映画だが、映像の質感や暗さは1930年代の日本映画的だ)。しかし館主の本多(柄本明)がフィルムを収集家に売却する事を決め、健司が最後の鑑賞を名残惜しんでいた時、奇跡が起きる。落雷と同時に、美雪が健司の前に現れたのだ。
現れ方がホラー的なのと、映画の登場人物のままの思考・言動をするのに驚く(演じた女優は、既に亡くなっている筈)。毎日が退屈だから出てきたという美雪は、映画同様に気高く、「無礼者!」などと健司を僕扱いして気軽に近寄らせないが、見つかってはいけないと、健司は美雪を自宅に連れ帰る。
色のない世界の住人である美雪が、現実世界の色を体験するときめきがビビッドに描かれるが、翌日、撮影所に連れていかれ、着替えてドーランで化粧をし、色を持った美雪の美しさにハッとさせられる。美雪は大スターの俊藤(北村一輝)にさえ高飛車な態度で(俊藤のナルシストぶりと超ポジティブシンキングが笑える)、傘で殴りつけ、立場がなくなった健司は、来る途中で失くしたオカリナのお守りを探すよう頼む美雪を突き放すが、初めて自らの言動を省み、シュンとした美雪に感情移入させられる。お守りを見つけ、二人で雨上がりの虹を見上げるシーンが印象的だ。
二人の共同生活が始まるが、密かに健司に想いを寄せる、映画会社の社長令嬢・塔子(本田翼)の計らいで、採用された脚本を書いた助監督が監督デビューできる事が決まる。健司は俄然張り切るが、恋愛物のシナリオハンティングで連れ出された美雪が、藤の花の咲く公園などに佇む光景が美しい。そしてキスシーンのシミュレーションで、電話ボックスのガラス越しにキスをする(後々、ガラス越しである事が意味を持つ)。
健司がずっと一緒にいてほしい気持ちを伝えようとした時、美雪は秘密を告白するが、映画から出てきた本当の理由が胸に迫る。そして、この物語自体が実は…。
最後は、映画の中に帰るため、二人は別れるのだろうと思っていたが、そうではないのが凄い。予想外の展開の末、涙を堪え切れない結末が訪れるが、現実と美雪の映画の世界が溶け合うかのようなラストシーンが素晴らしい。

鑑賞する前は、安易な映画愛を引き合いにした、観客を甘やかすタイプの映画ではないかという不安があったが、とんでもない。荒唐無稽な物語を、笑いを散りばめながら究極の純愛物語に昇華させた、武内秀樹監督の手腕に感嘆した。「ローマの休日」等、数々の名作映画へのオマージュも、ベタではあるが好感できる物だった。映画は本来、想像力の勝負である筈だが、近年の映画は、原作物・実話物ばかりで辟易していた中、久しぶりにビジョンとストーリーに、作り手の想像力を感じる作品だった。

健司の「どんな映画にも必ず良い所がある」というセリフがあったが、映画を人に置き換えても良いだろう。存在意義のない人などおらず、どんな人にも良い所があり、他の誰かの人生を彩る事ができるのだ。
今では忘れ去られ、健司の人生だけを彩っていた映画の分身であるモノクロの美雪に、周りから叱られてばかりだった冴えない健司が、色を付け彩るというストーリーには、そんな意味が託されているのではないかと感じた。数十年経っても私はこの映画を忘れないだろうし、観た人の記憶に留まり続ける映画だと思う。
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