ガンビー教授

バーフバリ 王の凱旋のガンビー教授のレビュー・感想・評価

バーフバリ 王の凱旋(2017年製作の映画)
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これまでに見てきた映画の記憶が、少なくともこの作品に向き合っているあいだは全て吹き飛んでしまうような一本がやってきた。

見終わったあとには、ありがちだとは思いつつも、つい言ってしまう。「これこそが映画だ」と。

あまりの面白さに涙が出た。

血湧き肉躍る戦闘、暴れ狂う獣たち、豪勢の限りを尽くした建造物、震える大地の上で争い躍動する男女の肉体、謀略、もうもうと舞う土埃、王族の血がもたらす呪いのような因縁、その障害を越えて成就する天命。あまりと言えばあまりなスケールで語られる圧倒的な神話的叙事詩。ここにいっさいの誇張はない。バーフバリという作品が成し遂げた偉業である。

特殊翻訳家の柳下毅一郎氏が今作について、この映画を見たあとでは、誰も安易に「全編見せ場」などと言えなくなる、とコメントを寄せている。それほどに、すべての場面においてリミットが外れた熱量と圧を感じる。ひたすら観客を楽しませる娯楽作品であることを目指して思い切りよく振り切った画面には、圧倒的な強度のようなものがある。その揺るぎない力強さに震えるほかない。

日本で公開された141分は、娯楽映画としては長いと思わせるような尺だが、もとのバージョンはさらに30分ほど長い。僕自身、長すぎる娯楽映画というのは正直あまり好きではないし、そういった作品を見ても「ほんとにこの尺が必要なのだろうか?」と思うことのほうが多い。しかし、この映画に関しては別だ。桁外れの内容がその尺を、説得力とともに納得させてしまう。この物語にしてこの尺あり、と言うか。それでいて重要な登場人物は限られており、複雑さはない。

世間には「神話っぽさ」というポーズだけ表層的に真似したような映画も横行しているが、そういったいくつかの作品はバーフバリの画面と、そしてその画面が紡ぎ出す物語の質量にたちまち殴られるだろう。バーフバリが、これこそが唯一無二の神話だ。

場面によっては、CG感のある背景や映像について好き嫌いがあるようだが、僕はこのバーフバリという映画のCGづかいを全力で肯定する。例えば『オズの魔法使』の背景美術を作り物めいていると非難する人はいないだろうし、むしろ作り物めいているからこそ、そこに「こういうビジョンを生み出したい」「こういう映像を見せたい」という作り手の願いが、心が画面に宿るという考えかたを僕は信じる。その願いの強さを見ることが映画の喜びではなかろうか? この作品の猛々しい勢いはむしろ、時に粗いCGからこそもたらされていると主張したいし、その特殊効果が仮に、表面だけはきれいにのっぺりと処理された合成に置き換わったとしたら、本作の図抜けた魅力はたちどころに半減してしまいかねないだろうとさえ思う。

この作品は続編であり、順番としてはもちろん前作『バーフバリ 伝説誕生』から見るべきなのだろうが、正直言って僕はまだ1を見ていない(なるべく急いで見る予定)。それでも問題なくこの作品を楽しんだ。物語を追うに従って次第に把握していった構成の異様さと非常なスケールに圧倒されはしたものの、混乱はしなかった。ちょっとすごい物語構成ではある、とだけ書いておく。

とにかく、「前作を見ていないから」「インド映画は苦手だから」「主役俳優の顔がもっさりしていて不安だから」などと言ってためらううちに本作をスクリーンで味わう喜びを逃すという宇宙一愚かな選択をするよりなら、映画館にすぐさま駆けつけたほうが良いと、ためらいなく万人に勧めることができる。必見。

……褒めすぎだろうか。ちょっと、まだバーフバリという作品の多幸感と酩酊感から抜け切れていないかもしれない。
ガンビー教授

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