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女は二度決断するのtakanoひねもすのたりのレビュー・感想・評価

女は二度決断する(2017年製作の映画)
4.0
この作品はドイツ、ハンブルグが舞台。
「他国の人や国家に対する敵意で、外国から来た同胞を殺す」ことを目的とした極右テロ組織(作中ではネオナチ)の爆弾テロにより、突然夫と息子を失った女性カティア(ダイアン・クルーガー)の話。

物語は章立てで、重要なのは2章の法廷劇。
あの流れで判決がああなったのは、当時アメリカ同時多発テロ事件の影響でイスラム過激派組織は注視していたものの、国内の極右組織へは手薄だった数年前の時事ニュースの内容を念頭に置いたうえで脚本をそうしたように思う。

最後の3章の『海』でカティアが選ぶ選択は、一度は鳥を見て(巻き添えにするのを躊躇った?)そして二度目は弁護士の『上告しよう』という期限を目前にしての、あの決断。

どんなに悲しみに沈んでも、泣きはらしたら、疲れて眠るし、お腹は空くし、出るものは出る、それが人の体の営み。
体からのあるシグナルを見た彼女、もしかしたらドイツへ戻るのでは……というこちらの予測を思いっきり飛び越えてしまったあの最後。

彼女の体に最後に入れたTATTOOがサムライ。
戦い方は違えども、失われたものを取り戻すにはこの道しか選べなかったんだろうな、と。
喪失の痛みを贖え!という気持ちと、テロリストと同じ殺人者になることへの、例え復讐のためという理由があっても許されない行為を選択した自分への代償。

神様に救いは求めておらず司法にも期待はない。それでもせめて、ふたりを覚えていくことが彼女の生きる糧になれば良いと思いましたが、それは私の甘っちょろい感傷でしかないことを痛感する結末。


無関係のひとを巻き込むテロは、例えその信念が正しく見えても、人殺しの集団でしかない……というのが数年前までの自分の考えでした。
『無関係な人たちを巻き添えにして殺す行為は許されない』という考えは変わらないものの、2015年におきたシャルリー・エブド襲撃事件の背景にある移民問題、差別、排外主義を知るにつれ『そういう手段をとるとこでしか社会に怨嗟の声を聞いてもらえない』という格差社会の分断の一側面を知ると、安穏とした日本で生きる自分には適切な言葉が見つかりません。