監督の思惑通りなのかもしれないが、ラブレスな両親、ヒステリックばばあ、塩対応の警察に苛々。
全員を正座させて説教してやりたい。
あまりの不快さと嫌悪感に序盤で観るのをやめたくなったけれど、プロフェッショナルなボランティア捜索隊の登場により、かろうじて踏みとどまることができた。
プロフェッショナルなボランティア、という言葉には語弊があるが、彼らの献身的で的確な仕事振りには大いに感心。
とにかく、アレクセイが不憫でたまらなくなる。
そして結果的には、最後まで見届けるべき映画だった。
クライマックスにおける解釈の可能性はふたつあり、エンドロールの流れる中で大いに悩んだが、より残酷で、より罪深く、より愛の無い解釈を私は選択した。
以下は、私の解釈について。
遺体安置所での、泣き乱れながらの母親の言葉は、罪悪感から逃れる為の、現実逃避と責任転嫁。
あの遺体はきっと、アレクセイ。
底冷えするような、荒涼たる気持ちになる。