YAJ

ラッカは静かに虐殺されているのYAJのネタバレレビュー・内容・結末

3.2

このレビューはネタバレを含みます

【知ろうとする義務】

 折しも巨匠と呼ばれる映画監督による、VR(仮想現実)が実用化された近未来を描いた作品が注目を集めているが、仮想でない、リアルな現実を知る意味では見る価値のある作品。”知る”ことに意味があり、関心をもつ誰かが世界のどこかに居るということが彼らの活動の力になる。

 匿名の市民により結成されたジャーナリスト集団「RBSS」(Raqqa is Being Slaughtered Silently=ラッカは静かに虐殺されている)。IS(イスラム国)が制圧し首都と定めたシリアのラッカで、外からは知ることのできない惨状を国際社会に訴えるべく、スマホ、SNSを駆使してメッセージを発信し続ける彼らを追ったドキュメンタリ作品。衝撃的な映像や、身の危険が迫る登場人物たちの姿は観るだけで心が痛む。

 ただ、この作品だけを見て善悪を判断しろとも言えないし、この作品を制作した側の意図によって自分の価値判断をどう左右されるのかも慎重に見極めたほうがよいのは確か。なにしろ片側からの見方によるものだからね。

 それでも、知るだけで、観るだけで意味はある。シリア内戦を通じて、常日頃から、我々は何を知らされて、何を知らされていないか。何を見ればいいか、どういう見方をすればいいのか、じっくりと考える機会になると思う。

 普段はレコーディングダイエットにとランチや晩御飯のメニューを撮影しているスマホのカメラ。それらが、時と場所に応じて、こんな活用のされ方をしているという認識だけでも改めよう。SNSを通じた情報発信力も思い知る。

 情報は武器だ。シリアに係る当事者の危機的状況では極めて尖鋭的にそう意識せざるを得ない。一方、ぬるま湯の今の日本ですら、その武器を駆使している者がいて、自分たちの思考・行動は操られている。そんなことにまで思いを馳せる。



(ネタバレ、含む)



 RBSS側の視点から、アメリカ資本で作られた作品。善悪の判断は容易にしない。

 ISによる処刑シーンがことさら残虐性を強調して流れるが、片やIS掃討作戦として空爆を行うアメリカはじめ西側の所業は、さらりとしたものだ。 命の数によってコトの軽重を論じるべきではないけど、ISによる処刑シーンは何人分あった? 対して米英軍による、とある空爆では800人のIS兵士が死んでいる。そんな状況でも作品のトーンは「800人のIS掃討のために数千人の市民が巻き添いに遭っている、ISけしからん!」だ。いいのかねえ、それで。

 実は、一番ゾっとしたシーンは、このRBSSが国際組織「ジャーナリスト保護委員会」(CPJ)の「国際報道自由賞」を受賞し(2015年)、NYでの授賞式でRBSSのSPORKSMAN(アジズ)が受賞演説する場面。発表と同時にスタンディングオベイション、スピーチ後にも再びスタンディングオベイション。会場にはタキシードやドレスに着飾った関係者たち。
 自分が斜に構えて観てるからかもしれないけど、彼らの態度が
「頑張ってるね、賞あげたから、これからも頑張ってよ」
という風にしか見えなかった。薄ら寒い。。。
 第三者としての関わりは非常に難しい。難しい。ずっと難しいなと腕組みしながら観てしまった。

 鑑賞後にトークショーもあったが(あまり内容のあるものではなかった)、映画を離れ、勢い難民問題にも話が及ぶが、それもどうだかね。作中もドイツで反難民運動のシーンが流されていたけど(これはこれでバランスの取れた編集だなとは思った)。

 日本は難民認定が厳しく、受け入れ人数も少ないと言われる。トークでもそれを批判するまではいかないが、問題視はしていた。話者は自分たちの関心事へと話しを引きずっていくが、RBSSの活動を追ったドキュメンタリ鑑賞後に、そうした話題へと話しを拡げる事ですら胡散臭く、あるいは不謹慎と感じてしまうのだった。

 この映画は知るべきを知る。それだけでいいような気がする。我々は知るべきであり、無関心でいてはいけない。真実を知ることは権利でもあり、ある意味、義務でもあると感じた。
この活動団体の名称をタイトルとした邦題は正解だし、意味深。静かに虐殺しているのは、ISでもなく大国の思惑でもなく、世間の無関心に他ならないから。

 そして、知ろうとする人がいることはとても大切なこと。なにごとにも関心を持つことも。自分も微力ながら知ろうとする人でありたいと思った。それが彼らの活動の灯を灯し続ける燃料になる。自分がそういう立場に陥った時も、知ろうとしてくれる人がいるということは、心の支えになるのではなかろうかと強く思った。

 知ろうとすること、それは義務だ。
YAJ

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