レオピン

ネットワークのレオピンのレビュー・感想・評価

ネットワーク(1976年製作の映画)
4.3
ハワードはインスタントの神になるわ

いま観ても相当に射程の広い作品。
もう半世紀近くも前にメディアのどうしようもない倫理感のなさを暴いてみせた。
オンエアーの裏側で何が起こっているのか 調整室での会話 経営幹部や株主 一つの番組を巡っての思惑…
 
一番興味深いのは、道化役引き回し役としてのハワード・ビール
引退前の年老いたニュースキャスターがいきなり暴露系の予言者のように持てはやされ視聴率男に変貌する。毎回毎回しゃべり倒してブっ倒れる あれは演技ではない 精神病的兆候だ、既に発作症状も出ていたのに。

以前見た時はこの人を中心に見ていなかったが随分印象が変わった。もうこういう人の時代なのだ。ある種のホンネ主義というのがポピュリズムと結びつき、今はこの手の人の天下だということを強く感じる。
興味深いのは彼らが制作する高視聴率番組はどれもコンスピリチュアル(陰謀+スピリチュアル)をベースとしているところ。昔から変わらない。ネットになって益々顕著な傾向。

だが予言者の彼もしょせんは掌の上で操られている存在だ。メディアグループの会長のぶつ壮大なストーリーに簡単に感化されてしまう。あのディープステートめいた話も 国際通貨システムの話も ある一面では真実かもしれない。だが人々は今や独立した個人の集合ではなくトランジスタのような集まりだというのは彼らがそう思わせたいだけなのでは。

ビールは番組の中でサウジアラビアへの投資に係る資金流入を暴露した事で経営層の逆鱗に触れる。タブーに触れないかぎりは何を言っても許されていた。虎の尾を踏んでしまった彼は会長の宇宙論を取り入れより内向的な主張に変わってしまい人気は下降していった。

こういう所がありきたりのメディア批判モノに終わらない。テレビ伝道師やFOXニュース、リアリティショーの全盛。この延長上に炎上商法などを加えてもいいがとにかくメディアがいつも彼のような人間を必要としているのだ。狂人のフリができる人物を。町中に連鎖して拡がっていく叫び声を。

劇中にはもう一人の狂人としてダイアナがいる。彼女のタイプはもうどこにでも簡単に見つけられる。数字にのみ存在証明を求める女。(久しぶりに「編集王」を読みたくなってきた)
視聴率のためにはテロリストとも組む。アンジェラ・デイビスがモデルらしき女性活動家との初対面での挨拶がかっこよかった。


ビール役ピーター・フィンチはこの後役柄そのまま心不全により急死 まさに予言的演技
ジェンセン会長にネッド・ビーティ 自身も何者かに言わされている感がよかった
マックスの妻にベアトリス・ストレイト 短い出演で助演女優賞


人間性を失っているダイアナ 操られて使い捨てられるビール そして唯一人良心のあるマックスは離れていく

ダイアナとマックスとの中年不倫愛は中途半端な気もしたが、マックスが別れのときに突きつけた言葉 わたしは君の脚本のいち登場人物にすぎない もっとDecencyを大事にしろ
君やテレビが触れたものはみな腐っていく 苦しみも喜びもない全てが予定調和だ TVメディアの申し子 にお前は空っぽだと言って去っていく。

とはいえダイアナの「偽善を告発する預言者がウケる!」という視点。これはまさに「反逆の神話」的なもので時代の波を正確に掴んでいた面もあるだろう。業界がまさに「反体制はカネになる」という事に気づき時代を一歩も二歩もリードしていった。76年というのはそういう時代だ。広告文化の全盛もこの辺りからだ。

史上初めて視聴率のために殺されたキャスターというナレーションと共にアップショットで終わる。シュールな風刺劇が現実以上に現実を描き出す。見たいものを見て聞きたいものを聞くことがかつてない程容易になった時代。『ネットワーク』が古びて感じられることは当分ないだろう。


⇒脚本:パディ・チャイエフスキー

⇒名セリフ
I'm as mad as well and I'm not going to take this anymore!
俺はとんでもなく怒っている。もうこれ以上耐えられない!

⇒予告編、ポスター 雷のアートワークがかっこいい
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