きゃんちょめ

ネットワークのきゃんちょめのレビュー・感想・評価

ネットワーク(1976年製作の映画)
5.0
俺のオールタイムベスト。民主主義とか国民なんてものはない。あるのは、IBMやマクドナルドだ。個人に力はない。ロシアの議会でマルクス主義なんか論じられてはいない。統計学や金融工学だ。イデオロギー対立なんかもうとっくに消えたのだ。これを1976年に取ってるシドニー=ルメット監督はどんだけ天才なんだ。だって、まだ冷戦の最中だったのに!!!現代の世界をこれほど鋭く言い当ててるなんて!

神をみてしまってから頭が狂っちゃったピーターフィンチ演じるニュースキャスター、ビールさんの話。でも、実はフェイ=ダナウェイが一番狂ってる。セックスしながら仕事の話をしつつ開始30秒で絶頂を迎えて、すぐにまた仕事の話に戻る。どれだけ「人間らしい感性を取り戻せ」と説得されても、「じゃあ具体的にはどうすればいいんですか?」と聞き返してしまう。彼女にはもう値段の付けられないものにはゼロ円の価値しかないのだ。


1976年にこの映画を撮るってシドニー=ルメット監督すごすぎ。『セルピコ』、『狼たちの午後』、『オリエント急行殺人事件』、『12人の怒れる男』、『評決』を一人の監督が取ってるとか天才過ぎる。

マックス=シュマッカーという採算度外視で、報道部門には赤字でも絶対に口を出すな!というオールドスクールなプロデューサーがどんどんフェイ=ダナウェイ演じるネットワークの化身に追いやられていく。人間の愛をフェイ=ダナウェイは全く理解できない。後ろにはジェネレーションギャップといえばこの映画『雨に唄えば』のポスターが静かに掛かっている。この女とは話が通じねぇ!


そういうテレビに対する怒りの声すらテレビは組み込んでしまう。

9.11を受けてジャック=デリダやジャン=ボードリヤールがグローバル化によって死を担保に入れたことで、肉体や感性が滅んで行き、価値交換システムとしてのネットワークが全世界を覆い、第四次世界大戦としての「ネットワークvsテロリズムの時代」が必ずやってくると主張したが、まさしくその通りになっている。テロリストは、脱構築者なのだ。価値を交換するシステムが世界を覆ったなら、価値を宗教によって何倍にもした自分の死を自ら世界に贈与することで、4000人もの死と交換した。なぜ1人の死が4000人の死と交換できるかって?死の価値をテロリストは4000倍認めてるからだよ。これが9.11だった。

ワールドトレードセンターは飛行機の衝突後に、自ら崩れ落ちたが、あれはテロリストの自死に呼応した、「建築物の自死」だったのだ。「ワールドトレードセンターの自死」こそが、ワールドトレードというその名において、世界交換(ワールドトレード)がまさにその交換によって終わりを告げることの象徴的な意味を獲得したのだ。テロリストの自死も交換されたのである。これが脱構築である。ネットワークは、まさにそのネットワークによって、テロに活路を開く。それがこの映画のメッセージだ。ちゃーんと最後はテロリストが出てきたろ。しかもテロリストは自分の死を使ったメッセージの拡散にネットワークやテクノロジーを使う。飛行機でビル突っ込むとか、細菌兵器とか、ネットワークの武器を、逆にネットワークに突き刺してやるのだ。

ここで脱構築されているのは、贈与の構造だ。ネットワークはイスラム世界から全てを奪ったわけじゃない。逆だ。全てを与えたのに、何の返礼も受け取らなかったのだ。これが最も残酷で原初的な支配の構造だ。古代中国の冊封体制もそうだろ。朝貢貿易は、親分が子分に大量のものを贈与して、返礼はほとんど受け取らない。これが支配の構造だったのだ。覇権国家は、そのネットワークを使って、発展途上国に全てを押し付け、その贈与の構造を使って返礼を受け取らないことで支配したのだ。じゃあテロリズムとは何なのか。贈与の構造である。彼らは僕ら資本主義人が銀行に生命保険という形で値段をつけて預けてしまった死を僕たちに思い出させてくれる。彼は僕らに無償で死をプレゼントしてくれるのだ。それによって、俺らは恐怖(テラー)を思い出す。これがテロリズムの精神だ。ただ、これ以上話すと長くなるので、とりあえずこの映画を見て、デリダの本でも読んでください。

世界規模に広がったネットワークというのは、その構造の内部にあらかじめ、既にテロリズムを内包している。ここを忘れてはならない。


「9.11を引き起こしたのは、テロリストだが、それを望んだのは我々の方である。」

By ジャン=ボードリヤール
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