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スーサイド・ライブのNMのレビュー・感想・評価

スーサイド・ライブ(2017年製作の映画)
2.5
一見、軽薄で不謹慎な映画かと思ったが、どちらかと言うとその逆。考えさせられる。
冒頭で悲惨な事件が起き、その後ずっと重々しい深刻な雰囲気。BGMも暗くて不穏。
ショッキングなシーンも多い。観るならメンタルが健康な時に。

リアリティショーの司会者・アダム。
富豪の男性を巡って女性たちが競う番組で、選ばれなかった女性がショックのあまり自殺。アダムは一躍話題に。

その話とは別に、もう一人の主役とも言えるメイソンが登場。
リストラされ今はバイト生活だが、家族のため頑張るしかない。しかし住宅ローン、医療費、学費と出費はかさみ、滞納は増えていく。

この二人の男がいつどう絡んでいくのか気になりながら観ることになる。


自殺を見せることでその死に意味を持たせる、観客は拍手喝采する、というのはどうしても無理があるように感じる。アダムたちスタッフも新番組に満足するのは急過ぎる。
あの葛藤はどこへ行ったのかもっと説明が欲しいが、少女の新体操のみで終わらせている。
だが十分な説明をしようとしたら何時間あっても足りないとは思う。

例えば最初の女性。自殺はともかく、子どものためとは言えそれを大勢に見せる必要性が本当にあるか。子どもにとってこれが最善か。罪を犯したなら償ってまた会うチャンスだってゼロではない。情状酌量の余地は十分。

こんな風に、彼らの死について、それは違うのでは、でもひっそり死ぬより得たものがあるだろうか、などと考えさせるのは狙いだろう。

アダムがタイミング良く、見透かしたように語る。
「確かに悲惨でしたがこれが現実です」「不満があるなら」観なければ良い
「でもきっと観続ける 番組の意義の大きさを本当は分かっているから」
「あなたは怒り」「命は尊いものだと信じている 僕も同じです」

だが徐々に彼らも視聴者も暴走していく。自殺者をスマホで撮りだすあたりから、流石にこれはやっぱりおかしいと感じる。
態度を変えない唯一の人がアダムの妹。重要な存在。一番ケアすべき人だったのに。
彼女の心配をよそに、はじめ責任を感じていたアダムはどこへ、ついに一線を超えてしまう。

アダムも周囲の人も不幸になっていく。
そしてついにメイソンが決断をする。冒頭ではひたむきに働いていた彼がこんなことになるとは。悪いことなど何もせず、ただ家族を愛した。命は大事だと訴えていた彼が。

日本人にとってはラストのインチキジャパニーズが興ざめだが、そこはスルーするしかない。

アダムは唯一で最愛の人を失い、自らの作った地獄にともに落ちてしまう。
さらにメイソンが番組に出ることで、人の死は他人事ではなくすぐそばにあるもの、と感じさせる。
最終的にメイソンが気付いたことが本作の主旨だと思う。

急ぎ足で描かれているが、テーマがテーマだけに観終わるとずっしり重いものが腹に残る。
このショーで幸せになった人は本当にいたのだろうか。

日本でも西洋でもむかし死刑が執行されるとき民衆が見学に集まるのは、娯楽がなく倫理観や教養も高くなく死が今よりずっと身近だからだと思っていたが、時代や状況は関係なく人間は他人の死ぬ様に興味を持つものなのでは、とも考えた。理解したくはないが。
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