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モーリタニアン 黒塗りの記録のNMのネタバレレビュー・内容・結末

3.8

このレビューはネタバレを含みます

事実及び本人の手記をもとにした法廷スリラー、サスペンス。
内容がぎっしり詰まっていて見ごたえがある。かといって話が難しいわけではなく予備知識なく観ても分かりやすいよう作られている。

恥ずかしながら不勉強で彼が犯行に関わったのかそうでないのか知らないまま観た。正直途中まで彼を疑っていた。
だが実際彼が関わったのかどうかを明らかにしないままストーリーが進む。むしろどちらかというと疑わしい要素を出してくる。本作ではそれが本題ではないから。
正式な手続きや説明、証拠、証言、起訴もないままに、何年も拘束し拷問を与え続けて良いのか、というのが一番のテーマだろう。
確かに犯人は憎いが、同時に我々は自分たち人類の尊厳について守り続けなければならない。

どうしても事件を決着させたいあまり、ときに人や組織は法を軽視する。
それはターゲットだけの尊厳を軽んじているようにみえて、他の人民全体の権利も同時に傷つけていることに気づけない。それが放置されているということは、自分自身もまたその対象になり続けているという恐ろしさ。
社会的国家的大事件であればあるほど慎重を期さねばならないのに、逆に乱暴な手続きになりがち。怒りや憎しみは人の視野を狭くする。
死刑有りきで起訴準備を進められ、怪しいやつを証拠もなく拘束、拷問して隠蔽する現実がつい数年前のこと。今はそんなことはないと言えるだろうか。
収容所には子供もいるという。ますます恐ろしい。

スラヒ被告の弁護を担当するナンシーのみならず、政府側の起訴担当スチュアートすら、大きな陰謀に邪魔されて思うように動けない。
立件さえすれば死刑にできるという政府の圧倒的確信が怖い。まるで結果が見えているかのよう。

スチュアートが軍を追われて心配だったが、エンディングの通りの結末で良かった。自分の職よりも正義をとった偉大な判断だと思う。
彼が裏切り者と言われたのが、スラヒ死刑計画が組織的である何よりの証だと思われた。
スチュアートの信仰や遵法精神をぎりぎりまで追い込んだことも政府の拷問の一つかもしれない。
失敗があれば彼に責任を押し付けることは明白なので、あそこで断ったことは賢明だったと私も思う。彼ほどの人物ならもっと早く気づいてもおかしくはなかったが、彼自身の怒りと憎しみが判断を鈍らせたのだろうか。

それに政府の主導でむごい拷問が行われたことに恐怖を感じる。政府が性的暴行までするとは。
自分がこうなったら助かるとは思えない。拷問などちらつかされたら諦めて言われるがままの自白をして大人しく死刑を受け、真相は闇のままとなるだろう。
もし彼がそうしていて、そのうちひょっこり真犯人や無罪の証拠が出てきたらどうするつもりだったのだろう。
政府は彼らに対する責任を認めたり謝罪したりしていないという。だから後々無罪が分かってもきっと謝らないし、国民の一部もそれを仕方ないことと肯定するのかもしれない。
判決が下っても何年も収容されていたことは本当に不可解。未だに闇は跋扈しているらしい。
スラヒが今は笑って暮らしていることにも驚く。恨みに人生を支配されず全員を許し、本当の自由を手にしている。
アラビア語で「自由」と「許し」は同じ単語、だと知り印象的だった。


あらすじ
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NYのテロ後。2001年の11月。
北西アフリカのモーリタニアに暮らすモハメドゥ・スラヒのもとに警察が。
これまでも何度も来ている。9・11に関わったのではないかと。
その日ついに聴取のための同行に応じた。
スラヒは離婚して独り身。
母たちがひどく心配するが、彼はすぐ戻るよと穏やかに微笑む。
そして着替える間に携帯電話の連絡先を全て消去。

その後すぐ帰るどころか、3年間なんの情報もなかった。
家族は弁護士を探し、その依頼はニューメキシコ州アルバカーキのベテラン弁護士ナンシーのもとへプロボノとして回ってきた。
専門は軍法、国家安全保障法。若い頃から人権活動家として政府相手に戦ってきた。

キューバのグアンタナモ海軍基地にある収容所にいるらしいという情報だけがある。
しかし政府は数百人拘束していながら氏名も容疑も公表しない。裁判もなしのまま。
だが国民感情がそれを良しとしていたし、依頼を受ければ彼女も所属事務所も顧客たちの心象を悪くする。
誰もやりたがらない依頼だからこそナンシーに回ってきた。彼女は引き受けることを既に決めている。

海軍勤務で元飛行士で検事のスチュアート。訪問顧問室に呼ばれた。
スラヒという男が、アルカイダ戦闘員でありテロ犯を勧誘もしたと聞く。
政府は彼を死刑にしたい。
機の副操縦士だった亡きブルースやその家族はスチュアートの友人だった。
彼の目は正義に燃え、本件の起訴担当を一つ返事で引き受けることに。

いざ取り掛かると、グアンタナモからの報告書にはどれも日付がなく使い物にならない。
元となったメモ(=MFR)がなければ。
報告書のなかに同期のニールの名を見つけた。スラヒが来た頃会っているはずだ。
MFRが手に入るか彼に聞くと、違反だからと断られた。彼が有罪なのは明らかだろうと笑われる。
実際は、アラブ人・高学歴・アフガニスタンでアルカイダから戦闘訓練を受けた過去、などが一致しているだけで彼である証拠は未だない。

ナンシーと通訳の部下が面会へ向かう。許されるのはごく短時間。
実は被拘禁者の人身保障はその年にやっと判例が出たばかり。ナンシーはその請求をする代理人となる。
つまり拘禁の根拠を示すか、ないなら釈放を求めたい。

スラヒはこの3年毎日、寝る間もないほど尋問を続けられていた。
あちこち収容場所を移されたり髪を剃られ注射を打たれたりするが、なんの説明もない。

携帯にビンラディンからの着信があったことについて聞かれていることが判明。
かけてきたのは親戚だったので何も知らないとスラヒは語る。

それが真実かどうかはともかく、拘禁の不当性を証明するのが彼女の仕事。
感情移入は不要。
ともかくまずは彼自身の証言が要る。それを書き出すよう言って帰った。
ここへはフライトで片道3時間以上、そう頻繁には会いに来れない。

スラヒは故郷を思う。
砂に覆われた町で、家々は石造り。家族や親戚大勢で一緒に暮らす。
彼の家は遊牧民の一族で地べたに絨毯を敷いてくつろぐ伝統的なスタイル。
薄く大きな布で体全体を覆うような服。男性は首に、女性は頭からスカーフを着ける。
学業優秀でドイツでの奨学生に合格し、両親は一族の希望だからと後押ししてくれた。

スチュアートのいる海軍事務所では打合せ中。
スラヒはドイツに留学した2年後にアルカイダに加入し、アフガニスタンで軍事訓練を受けた。
彼の従兄弟はビンラディンから任命された神学指導者。スラヒは彼に資金提供したことがドイツの調査で分かっている。
さらに計画を統括したラムジや、他にも関係した10数人と関わりがあり、事件の黒幕だという。
スチュアートは死刑にもっていくと意気込む。

モハメドゥからの手紙が届いた。それがあるバージニアの保安事務所に出向く。
文書は厳重に管理され、持ち出すには許可が要る。写しをFAXできるのも秘匿に当たらないと認められたものだけ。
本人にはそうそう会えないし、文書はことごとく黒塗りで準備はなかなか進まない。

それはスチュアート側も同じだった。
報告書はスラヒの発言の要約だけ、尋問者の名前も状況もなく確実な証拠たり得ない。
MFR(記録用覚書)がなければ。
しかし上司は理解せず、有罪に決まっているのだから早く立件しろと急かす。

スチュアートは、正攻法では難しいことを感じだす。
ビールを持ってニールの家に遊びにいく。
内部事情に詳しいニールにMFRについて再び頼むがにべもない。
食い下がると、閲覧許可を出すのはグアンタナモの尋問責任者である少将だけだから彼に会いに行けと助言。

ナンシーは面会に行った帰りの売店で、偶然居合わせたスチュアートから声をかけられる。
スチュアートは自分の正義と正当性、勝ちを確信している自信たっぷりの態度だった。
本当はまともな資料も入手できていないが。

そのまま初めてスラヒがいた収容所の見学をしたスチュアート。
その環境の悪さに唖然とした。
独房の狭さと寒さ、拘束具や睡眠剥奪のための爆音で流れる音楽など、これでは裁判で不利になりかねない環境。
さらにニールに紹介された少将に面会したが、組織として無理だと非協力的で、肩透かしに終わった。

ナンシーは不利を予感し、記者の取材を受ける。
テロの支持をしたいのではなく、権利を守るのは他の市民や私自身のためだと説明し、大勢がその記事を読んだ。
少し流れが変わった。本件の争点はテロ自体ではなく人身保護請求なのだと目を向けさせはじめる。

スチュアートの事務所。部下の一人が出勤してこない。
彼は各方面にMFRの請求をしていたが、IDが無効となり入館できない状態だった。
見せしめのメッセージともとれる。

拘束は6年目になった。1件の起訴もないまま。
ワシントン連邦地裁、2008月。
外ではデモ。ナンシーたちはまるで犯人かのような殺意じみた視線を向けられる。
ここで政府はやっと証拠開示請求に応じる。

資料の山が届いた。今度は黒塗りがない。
読んでみると、スラヒが資金提供や勧誘について認めアルカイダの組織図まで明らかにしていた。
もちろんナンシーは何も知らなかった。しかし弁護は続ける姿勢。
部下は動揺して退室してしまった。彼女は彼の無実を信じていて家族すらも距離を置くようなつらい思いに耐えてきた。ナンシーはそれは不要と助言していたはずだが、優しい彼女は募金を募るなど自ら手を動かし彼を助けようとしていた。

また尋問されているスラヒ。
ラムジを勧誘したことについては未だ認めていない。
ここでの聴取は打ち切りになり、軍の情報局が引き継ぐという。
また頭巾と手錠。房を移され、今度は震えるほど寒く房にコーランもない。
ラムズフェルドが「特殊尋問」を許可した。

ナンシーは自白の件について面会に行く。
スラヒは、あんなのは全て嘘だと言う。そしてナンシーが自分を信じていないことを指摘し怒る。
ナンシーは、真実を話さないなら他の弁護士を探すと言い残して去った。

ニール宅のクリスマスパーティーに来たスチュアート。
ニールはあれ依頼電話に出なかった。
なぜ邪魔をするんだ、部下を外したのも君たちだろうと詰め寄る。MFRがなければ戦いようがないし、敗けたとき責任を負うのは私だと。
ニールはこれまでのように話を反らしたので、スチュアートは怒りを抑えつつ帰った。

スチュアートが夜のオフィスに一人でいると、ニールがやってきた。
真剣な表情で、MFRのある場所を案内するという。
読んでみると、スラヒがあらゆる拷問を受けていたことを知る。
鎖で拘束、激しい暴力、常に点滅している照明、爆音で流れる音楽、睡眠の剥奪、水責め、食事の強要、性的暴行。
そして母親も逮捕しグアンタナモの収容者たちに襲わせると脅された。
全身血まみれで片目は開かない。スラヒはついに自白すると伝えた。

読むだけでも震え上がるような内容。
同じ頃ナンシーもそれを読んだ。彼女ですら動揺する内容。
グアンタナモがあの場所に作られたのは、看守たちを米法から遠ざけるためではと考える。

スチュアートは敬虔なクリスチャン。
ミサや説教においては、自分の良心と向き合うことになる。
教会には亡き友である副操縦士の遺族も通っている。その姿を見るとスラヒが有罪ならこの手で死刑にしたいぐらいだ。
しかしキリスト教徒として、法律家として、取るべき行動は。
十字架が彼を見つめている。
入隊するときに、憲法を擁護すると誓った。しかし我々は真逆のことをしている。

起訴担当を任命した大佐のもとへ出向く。
自白は70日の拷問によるもので証拠たりえないと訴える。
しかし大佐は、待遇などどうでもいいから起訴しろ、あとは判事が判断するとしか言わない。
スチュアートがついにできないと言うと、裏切り者呼ばわりして帰っていった。
スチュアートは席を終われ、その決断は大きく新聞に載った。

審判は2週間後に迫る。
ナンシーとスチュアートはまた会った。
スチュアートは32番の箱を見るようにと教えてくれた。翻訳としか書かれていなかったので彼女たちは見過ごしていたのだ。
そこにはスラヒが嘘発見器を2度もパスしていた記録があった。確たる証拠までにはならないが前向きな材料になる。

ついに裁判の日。あれから8年が経っている。
スラヒは中継で証言する。
この場を導くのは恐怖ではなく法であることを信じるから、判決は受け入れると。
後日、勝訴の通知が彼の独房に届いた。

しかしその後7年収容は続き、母は再会叶わぬまま死去。
ナンシーとテリーは釈放を訴え続けた。
スラヒの手記は出版され国民は驚愕した。ベストセラーとなり各国語に翻訳。
14年の拘束ののちついに釈放となり、その後何らの起訴も受けなかった。
この件について責任を認めたり謝罪をした機関は一つもない。
779人拘束して有罪が確定したのは3人だけ。
グアンタナモは閉鎖を発表されてはいるが未だ実行されていない。


アサダ…… コーントルティージャに、ステーキして食べやすく切った牛肉、サルサソース。Tacos de carne asada。メキシコ料理。
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