Inagaquilala

現れた男のInagaquilalaのレビュー・感想・評価

現れた男(2017年製作の映画)
3.3
東京国際映画祭「アジアの未来」の1本。公式パンフレットには「タイ文学界の若きカリスマ、プラープダー・ユン2本目の監督作」とあるが、彼は1973年生まれで、「若き」とは言えない感じだ。それとも、タイでの文学界では、40代でもまだ若手なのか。ともかく作家がつくった作品ということで、興味があり、観賞することにした。

物語は、かなりシュールな展開をみせる。まず若い女性がマンションのドアを開けると、そこに傷ついた男が横たわっている。部屋に戻り外部に連絡していると、男はいつのまにかリビングに入り込み、ソファに腰を下ろしている。壁にかかっているアンリ・ルソーの絵は自分が買ったものだと男は主張し始め、その他にも部屋のいろいろなものを知っていると言い出し、最後にはこの部屋は自分のものだと若い女性に強い言葉を突きつける。女性はそのうち戸惑い始め、もしやと疑心暗鬼に……。

いかにも作家が監督してつくりそうな不条理劇が展開するのだが、正直言って意匠だけの作品のような気がする。舞台も部屋のなかで、いろいろアングルに工夫はしているのだが、いかんせん映像はそれほどキレを感じさせるものではない。作家が書いた脚本の割には、内容は単調であまり面白いものではない。映像というよりも舞台にふさわしい題材ではないかと感じた。

多分バジェットなどの制約もあったのだろうが、もう少し意想外の展開も期待したが、残念ながらそれも観ることはできなかった。タイ映画のレベルがどのくらいであるのかわからないが、日本なら学生がつくる作品にさえもっと良いものがあるような気がする。とはいえタイの国情と考え合わせると、いろいろ示唆に富む表現もあるのかもしないが、そこまでの準備が自分にはなかったので、ちょっと残念ではある。
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