萎れる花、赤い星、銀河鉄道の夜のオマージュなど随所に散りばめられた死のメタファーが、最後の振り向いてはいけないよというセリフを際立たせている。
死者の世界を見てないで、前を向いて生きるんだよというメッセージに心動かされた。
釜爺や湯婆婆は宮崎駿自身で、湯屋の従業員はアニメーターで、カオナシが鈴木敏夫だという目線で見ると、また違った楽しみ方ができる。
特に釜爺の最初のシーンは宮崎駿のボヤキが見えて、とても面白い。「一度にこんなに頼みおって、」「代わりはいくらでもいる!」などは完全に仕事の愚痴である。
大湯で川の神のゴミをみんなで引っ張るシーンは宮崎駿の理想が詰まっているなと感じた。湯婆婆の宮崎駿が旗を振って、従業員のアニメーターが全員で一つの作品に取り組み、神々の観客がそれを応援し賞賛する。
良いシーンなんだけど、宮崎駿のこうだったら良いなが詰まっていて、物悲しさを覚える。