真田ピロシキ

志乃ちゃんは自分の名前が言えないの真田ピロシキのレビュー・感想・評価

3.9
是枝裕和監督の2012年ドラマ『ゴーイングマイホーム』を今見てて子役の蒔田彩珠さんがとても上手いと思って現時点で一番大きな役と思われる本作を鑑賞。

年代は携帯電話を持っておらずオアシスのモーニンググローリーやニルヴァーナ表紙のロッキンオンが映りミッシェルガンエレファントの世界の終わりを歌ってたとこから1996〜97年と思われる。もっとアバウトに前後してる可能性もあるが、吃音症を取り巻く状況としてはこの頃なら大体こんなものだろうなと思う。マイノリティに配慮はあまり望めなかった頃。

入学時の自己紹介で名前が言えず孤立した志乃に対してひょんな事から友達になった加代の態度には遠慮がない。「言い訳が効くよね」とまで言う加代の言葉は一見すると繊細さを傷付けそうに思えるが、志乃はそれまで配慮が故の距離の遠さを感じさせられてたのかもしれない。配慮も過ぎると苦になり得るややこしさ。この辺は原作者の実体験を基にされているらしい。

それで志乃は超音痴な加代を補う音楽デュオを結成するのだけれど、この辺の描写は青春友情ストーリーとして素晴らしい。このまま終わりまで緩く続いて欲しかったのだけどそうは問屋が卸さずやってくるのが最初に志乃の事を笑い物にしたアホ男子菊地。コイツがまた余計なこと言って加代にぶたれたら反省して謝るのは良いけど自分も混ぜてくれという始末。何なのコイツ。百合に混じりたがる男って奴?という感じで最初は反感ばかりなのですが、中学時代にイジメられて高校デビューしようとするも尽く滑ってるとことか可哀想だし、邪魔者だと自覚してて弁えてるのは嫌いになれない。でもやっぱりウザいと複雑な奴なんですよ。それで志乃は耐えられずに心を閉ざすのですが、終盤でずっと遠慮してた菊地が「お前はミジンコだ。いやミジンコに謝れバカ」と小学生みたいな事をぶちまけるのには配慮だけでは生まれない加代のと同じ生のコミュニケーションがあり、それはラストの志乃の行動にきっといくらか繋がっている。今はこの頃よりずっと配慮が行き届いているけど気持ちは通じている?見せかけだけの配慮かもよ?そんな事を言われている気がした。ポリティカルコレクトネス的な意味でも。心地良いだけの女同士の友情映画には終わらせないし、感動ポルノ系列でももちろんない。

最後の志乃、加代、菊地のポジションは寂しい所。