アメリカの映画レビューサイト『ロッテン・トマト』では批評家の反応は芳しくないのだという。それを知っても、御大のファンである自分なんかはアメリカの評論家にイーストウッド映画が理解できるはずがないと傲慢な思いが浮かんでくる。
で、実際見てみると、「こりゃあ評論家も反応に困るわけだ」と思うほど変な映画。
こんなシンプルなテーマを、シンプルなモチーフに依ってシンプルに語っているにもかかわらず、圧倒的に変。それこそ観客が「いま何を見てるんだろう?」と不安になってくるほど変。主人公たち3人(実際に当事者が演じている)の、朴訥かつ真顔に近い演技も、過剰な演技を排するイーストウッド映画だからまあ馴染んでいると言えば馴染んでいるけど変。構成も変。「物語」とか「映画」というものをふっと越境しようとするような不思議な試みがなされている。事実とは、人生とは、そして映画とは何なのだろう? と考えずにはいられない。一見シンプルに見えてこれらは奇妙な複雑さを隠し持っている。
この映画を見る直前に、前作『ハドソン川の奇跡』についての考察をブログに書いた。
https://ameblo.jp/blindhead/entry-12348795681.html
この映画を踏まえて、またしばらく考えてみないといけないな、と思わされた。このテーマの圧倒的なシンプルさに対して、あまりに不思議な作品だ、としか今は言えない。
以下、雑感。
最後の「見せ場」においていっさい音楽が途絶えるのもすごい。イーストウッド以外の誰もあんな風には演出しないと思う。
イーストウッド映画にキューブリックのポスター(フルメタル・ジャケット)が! と軽く驚いていたら、カメラが切り返したこっち側には『硫黄島からの手紙』。笑った。ミリオタ少年があんなダウナーな戦争映画2作を選ぶか。