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万引き家族のTOSHIのレビュー・感想・評価

万引き家族(2018年製作の映画)
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「万引き家族」。いきなり違法で、衝撃的なタイトルだ。昔から万引きのような行為で、暮らしている家族はいただろうが、現代にそんな家族がいるという意味で、より衝撃度は強まっている(公開直前に、佐賀で本当にそういった家族が逮捕されたようだが)。しかしそんなストレートなタイトルからは想像できない、複雑で多層的な映画だった。そして、食べる物に困って万引きをする家族の話ではなかった。

すっかり日本映画に欠かせない俳優となったリリー・フランキーだが、“万引き家族”の父親役と言えば、最初に名前が思い浮かぶ程で、ハマリ役だろう。映画は浩(リリー・フランキー)と祥太(城桧吏)が、スーパーで万引きをする場面から始まる。慣れた手付きから、常習性が伺える。そして二人は帰り道、近所の団地でベランダに隠れているゆり(佐々木みゆ)を連れて来て泊めるが、虐待されているのか体中に火傷や傷跡があるのに気付く。そして家に帰すタイミングを失い、一緒に住む事になる。

東京の隅田川近くの下町で、浩は日雇い労働、信代(安藤サクラ)はクリーニング工場でのアルバイトと一応仕事をしている。木造平屋の持ち主である初枝(樹木希林)も年金・生活保護を貰っており(訪問する民生委員には、同居者がいる事を秘密にしている)、貧乏ではあるが本当にその日の食事に困って万引きをしている訳ではないのが意外だ。そして亜紀(松岡茉優)はJK見学店という、マジックミラー越しに痴態を見せる風俗店で働き出す。松岡茉優は、“万引き家族”には品が良過ぎるのではないかと思っていたが、かつてなく大胆な面を見せ違和感がなかった。亜紀は“4番さん” と名付けた常連客(池松壮亮) に、シンパシーを感じ交流する。帰りたがらず、捜索願が出ている気配もなかったゆりは、祥太に万引きの手口を教えられるが、髪を切ってもらったり、服を買ってもらったりしながら、柴田一家に馴染んで行く。

是枝裕和監督ならではの、ドキュメンタリー調で、客観的に観察する作品作りがされている。古い平屋の中でなされる、ビールを飲む、ご飯を食べる、風呂に入るといった日常の行為が、本物の生活を覗いているようなリアルさで、映し出される。そして彼らが根っからの悪人ではなく、子供を虐待する親から保護する等、一定のモラルや価値観を持ちながら、万引きをせざるをえない心理が浮かび上がってくる。  
2カ月後、テレビでゆりの行方不明が報じられ(本当の名は、じゅりだった)、一家は帰宅させるか算段するが、彼女の意思で残る(呼び名をりんに変える)。その後、祥太とりんが駄菓子屋で万引きをした時、店主(柄本明)に見抜かれ「妹にはさせるな」と言われた事で、祥太の中で万引きに対する懐疑の念が浮かぶようになる。ある日一家は海で楽しい一時を過ごすが、その夜に…。

追い込まれた家族の秘密が次々と明らかになり、唖然とさせられる。確かに一家はやむなく万引きをしているのだが、一緒に鍋をつついたりして、万引きの成果を共有する事でしか繋がれない人達なのだ。万引きをする家族の物語ではなく、万引をする事で家族になる物語だったのだ。※本作のコピーは、「盗んだのは、絆でした」だ。
しかし本作は決して、犯罪を美化している訳ではない。是枝監督は善悪の二元論で撮る事をしない作家であり、この家族を肯定している訳でも、否定している訳でもない。様々な社会的問題の縮図として、暗示に富んだ現代的な一つの家族の形を提示しているだけなのだ。一家が迎える結末に誰もが、現代における家族とは、人の繋がりとは何なのか、考えざるをえなくなるだろう。
安藤サクラを筆頭に俳優陣の演技が素晴らしいが、演技を撮影しているだけではなく、それを引き出しているのは監督であり、あくまでも映像表現になっているのが流石だった。

本作のカンヌ映画祭・パルムドール賞受賞に安倍首相が祝意を示さなかった事が、国会でも追及されていたが、日本の国が見て見ぬふりをしてきた事柄が凝縮された、日本の恥部を晒す作品だからかも知れない。しかしそれ故に、世界から憧れられている日本・東京の本当の姿を映し出した事が、カンヌの人達に衝撃を与え、受賞に至ったのだろう(審査委員長のケイト・ブランシェットが、本作を絶賛したとはあまりイメージできないが)。勿論、パルムドール受賞は立派な事だが、只、日本人が受賞したと喜んでいる場合ではないだろう。世界のどの国民よりも、日本の国民こそが本作を観て、この国の現状、そして未来像について考えなければいけない筈だ。
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