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万引き家族のtilyokujinのネタバレレビュー・内容・結末

万引き家族(2018年製作の映画)
4.6

このレビューはネタバレを含みます

とても考えさせられる良い映画だった。ネットの考察を見る前に自分の感想を書いておく。一人一人の登場人物の心情の変化というものが1番の見所だと思う。
初枝は独り身で家族が欲しかった。たとえ血が繋がっていなかったとしても家族の温もりが欲しかったんだと思う。夫婦ではない浩とのぶ代。のぶ代は子供が産めない体ではあるが、この2人は幸せな家庭をずっと求めていた。子供にお父さんお母さんと呼んでもらいたがっていた。浩とショタ。のぶ代と凛。初枝とあきの関係性は素晴らしかった。どちらも親から子へとても大切なことを教えていたと思う。最後のバスで施設へ帰るシーンではショタはお父さんと口ずさんでいたし、かき集めた他人達が、貧しくも仲良く過ごし死んでしまう前に初枝がありがとうございました。と口ずさんでいた、ここが敬語だったのは他人なのにありがとうねというよそよそしい意味が込められてたのではないか。
貧しくも幸せな暮らしから一転、ショタは凛のためにわざと万引きで捕まった。凛を妹のように思い、犯罪に手を染めて欲しくなかったから?それとも、ショタが駄菓子屋で叱られた以後、万引きについて良く思っていなかった→改心しようと思った?このどちらかだと考える。
そして、終盤の事情聴取のシーン。それぞれの心情がとてもよく分かった。自分のことより凛のことを考えていたショタ。万引きしか教えれなかったと嘆く浩。本当の家族になれたのか疑問に持つあき。そして、泣きながら「産んだら母親なのか?」と訴えるのぶ代。本当の家族の元に帰ったが、幸せではないじゅり。
彼らの中に愛はあった。育った環境が悪く、集まったこの一家。とても、自然で暖かい家族だった。作中スイミーの話が示唆していたように、弱いものたちが集まって社会に立ち向かう。様々な社会問題への訴えが強く感じれた。
俳優の演技力も見ものだった。安藤サクラさんのやさぐれ感と、母性、包容力。子役たちの言葉にならない不信感や悲壮感。
と、ここまで書いてネットのネタバレを見たがふたび驚愕。様々なところに家族の心情が表されていたが、これを映画を見ながら発見したり考えたりするのがとても楽しい。もう一度みたい
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