ちょうどアミン・マアルーフの98年のエッセイ『アイデンティティが人を殺す』(今年ちくま学芸文庫で邦訳)を読んでてタイミングの妙にびっくり。
ボリシェヴィキの目指した「あるべき社会」ってなんだったんだろう。ロシアでは革命後、ようやくグレゴリオ暦を導入したらしい。つまりその時点でやっとのことでロシア正教から解放されてカトリックへの途についた。ただ共産主義がもたらす「幸福」は宗教のそれを遥かに凌駕するはずである。なので…。
村社会の諸々の縛り=さまざまな因習、結婚の不平等に代表される富の集中、それらを丸ごと肯定してしまう(あるいは見なかったことにしてしまう)宗教、ましてやそのダメダメな宗教間の不毛な対立。そうした矛盾を解消・止揚する最終兵器としてのソビエトロシア体制。それへの一応の同意称揚映画だったんだろうなと思う。
アマルーフはエッセイの中でEUに触れている。EUの理念上の目標は普遍性の獲得としての「グローバル化」なのだが、実際には画一性が富の集中を加速するだけのグローバル化を生んでしまったという体たらく。
同様に宗教を乗り越えてつもりのソビエトロシアだって、つまるところはグローバル化の魔力の前には無力感しかないよな、って厭世的に呟いて、アブラゼさんはソ連の中で持ち上げられもし、疎まれもしたのでは?
三部作のうち『懺悔』をまだ残している。とても楽しみです。
ところで、この『祈り』という映画。67年の制作だということで、それにも驚く。表現主義の影響ばりばりで既視感の強い映像が続いて…。37年の映画かと思いましたよ。