よし

ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッドのよしのネタバレレビュー・内容・結末

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このレビューはネタバレを含みます

目を真っ赤にして泣くディカプリオに笑った☺️
いつ見てもディカプリオは良い俳優だなあ🤗🤗

『マクラスキー 14の拳』

映画やテレビドラマが娯楽の中心だった時代を、映画のタイトルを言うだけで意志疎通ができる。
このシーンを入れているところに監督の映画愛を感じます。

この映画は『老いた時に誰が隣にいるかで人生が変わる』ということを言いたいんじゃないかなと思いました。

主人公のリックと映画牧場のおじいさんを対比すると、リックは友人でもあるスタントマンのクリフのおかげで生き延びセレブの仲間入りができる。牧場のおじいさんは住み処も自分の意思も乗っ取られて、私は不幸だと思う。何が幸せは人に寄るとは思うけれども…
ただ、誰が側に居るかで生き方や人の生死すら変わる可能性がある、ということを言いたいのではないかなと思いました。

あと、クリフは好戦的人物に描かれていますが、この性格も戦争による後遺症なんじゃないかと思います。
ベトナム戦争後、PTSDなど精神的な病気を患った帰還兵は多く、クリフは戦争から戻ってきたものの行き場のない人々の象徴として描かれているのではないでしょうか。

映画の中ではクリフは投げやりで、自分が死ぬことにも恐怖がないように感じます。
そんな彼が唯一努力しているのはリックの良き友人であり続ける、ということで、色んな噂があるけどクリフを信頼し続けるリックと、リックの友人であることを誓うクリフが、最後は二人とも本当に手に入れたかった場所(リックは一流セレブへの道、クリフはリックの唯一無二の友人という立場)を得ることができたという締めくくりで、バイオレンスなのに人に優しい映画でちょっと混乱しました。

映画の内容についての感想はここまでですが、もっと掘り下げると、この映画にはタランティーノ監督の特別な思いがあるように感じます。

私は前情報なしで観に行って、シャロン・テートって誰?というところからシャロン殺害事件も知りましたが、もう50年も前の話で、新人女優だったシャロンが子どもを身ごもったまま暴漢たちに殺された事件です。
映画の中では隣家にたまたまリックとクリフがいたおかげで死ななかったという話になっています。

自分の出演作品を観客が喜んで観てくれている、シャロンが現実には果たせなかったこのシーンは、事件を知るととても泣きたくなる演出です。
最後の暴漢たちが惨殺されるシーンも観た時は恐くて、何でこんな酷い殺し方をするんだ?と思っていましたが、現実世界の犯人たちへの復讐だったんだなと分かりました。

また、若き才能ある女優の死を悼むというだけではなくて、シャロンの夫であったロマン・ポランスキーへのタランティーノの思いも詰まっています。


ロマン・ポランスキーは未成年者への性的虐待で有罪になっていて、それでもタランティーノは最初、彼を擁護するコメントを残しています。
その後で擁護は誤りだった、謝罪していますが、同じ業界人だから、ということもあると思いますが、タランティーノ監督は自身も映画オタクで青年時代にポランスキーの映画も観ていたはずだし、偉大な監督としてポランスキーのことも尊敬していたんだと思います。

それでも、被害者は1人ではなくて、タランティーノもポランスキーへの擁護の気持ちを改めたんじゃないかな、と。

彼は映画の中でクリフに『未成年とはヤらない。警察に捕まるから』と言わせていて、ポランスキーへの冷めた視線を感じます。ただ、その一方でポランスキーの妻を生き延びさせる映画の内容はポランスキーへの同情というか、『もしシャロンが生きていたら、ポランスキーもあんな事件を起こさなかったかも』という未練みたいなものを感じます。

ポランスキーの母親も妊娠中に殺されていて、シャロンの死はポランスキーにとって大きな打撃だったはず。
シャロンの死後に未成年者への虐待が起きており、妻の死がポランスキーに強く作用したのは間違いないと思います。

ただ、どんなに辛い目に合っていたとしても、立場の弱い子どもへの犯罪は卑怯だと思う。どんなに良い映画を撮っていて、どんなに才能があってもそれで帳消しにはならない。
タランティーノが同じ気持ちだったら良い。

タランティーノがそこら辺を本当はどう考えているのかは分かりませんが、ポランスキーへの愛憎は一言では言い表せないものになっていると思います。

『ワンス アポン ア タイム イン ハリウッド』はタランティーノの理想の世界で、特別な映画です。
評価しづらい映画ですが、後世にも残ると良いなと思う映画です。
よし

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