力強く、誰ひとり残さずに抱きしめてくれるような作品。哀愁のずっと奥にある、澄んだ祈りと愛。
バイオレンスが最も爆発したシーンには、その乱暴さに似合わない思いやりと、切実な祈りがあった。その描写だけなら間違いなく残虐でむごたらしいのに、ひとり残さず、一番暴力から遠い場所に連れて行った瞬間。溢れていたのはひとの黒い部分に全く作用しないユーモアで、底にあるのは、あの哀しみをすくい上げることができますようにと閉じられた瞳。それが驚くほどやさしくて、気づいたら笑いながら泣いていた。
現実を受け入れた上での「救済」 は、声にならない叫びややるせなさを、純粋な願いに昇華させる。その切ない透明さに、うつくしさに、信じた未来に、きっと涙が出るんだろうと思った。
終わり良ければ全て良しとはいうけれど、じゃあ終わりが悪ければ全ての良さは台無しになってしまうんだろうか。終わりがあまりに惨たらしくて、目を背けたくなるほど残酷だからって、ひとの一生すべてを悲劇に飲み込ませてはいけないよ。シャロン・テートもハリウッドも、こんなに美しくて、まばゆい清潔さに包まれていた。わたしたちの時代だ。わたしたちの映画だ。「映画」としてその役割を120%果たした映画のように思う。映画はこんなことができるんだ、こんな力があるんだ、だから惹かれてしまうんだという原点に連れて行ってくれる。
本当に、映画だから救えるたくさんの人生が光り輝いていた。まっすぐで強い、それでいてうまれたてのやさしさ。
わたしたちは映画のような毎日を、こんなに当たり前に、きらきらと生きているのだ。