レオピン

愛しのアイリーンのレオピンのレビュー・感想・評価

愛しのアイリーン(2018年製作の映画)
3.8
色々アウトだなぁ と思いつつ鑑賞 笑

連載時けっこう読んでた。結末までは覚えてなかったけど雪景色のアイリーンが印象的だった。四半世紀もたってからの映画化は遅いよと思うが、でも何も変わっていないのが日本社会。

『私が棄てた女』のような聖女の話だったかなと思って観たが、愛に目覚めるとか翻心とかそんな余裕のある話しでもなくみんなギリギリを生きていた。よく見りゃアイリーンは厄災だ。連れてきた日に父は亡くなり、近所のおばさんも母まで死んだ。岩男はアイリーンに触れて罰が当たったのか。神は呪われている。(ヤスケンの岩男はあの映画では加藤武だな。マザコンで女は◯◯だーとか言ってるミソジニー拗らせ系) 

アイリーンはマリアじゃない。虫けら呼ばわりされるこの女性のどこにもそんな神々しさはないし、田んぼで母と笑いながら通じない言葉で罵り合えるほどタフで賢い人間だ。ようく見れば国際結婚は人身売買、孝行息子はマザコンDV野郎で親は毒親、気のいい同僚は性差別主義者に人種差別主義者と、一枚めくればそんなものだらけ。

最も道義的なことを言っていたのが伊勢谷のヤクザというのが面白い。日本人に復讐しろとまで言っていた。誰より現実を見てきた彼の正義が人買いを正当化しアイリーンに執着する。ビジネスライクに生きてきたという点では岩男もアイリーンも母もみんなそうかもしれない。みんな何かに渇望を抱えており何かしらシステムの犠牲者に見える。

自分にはあの知り合いのおばさんが紹介してくれたメガネっ子が一番聖女だった。
私は毎週土曜日の午後に~してます。いや言わんでいいから マジメかっ!

たぶん、こういった露悪も少なくなっていくんだろうな。性の描写についてはもうこれがギリでないか。これでさえ非難の声は想像つく。ただあきらかに単純化や記号化の部分、うっすい描写はやめてくれとは願うが。あのモザイク処理とかも漫画ならともかく映画では合わないと思った。

パチンコ屋の年増の人だって。くれたぬいぐるみを捨てたり、金を借りに行ってその後でうがいをしたりとか。失礼すぎだろ。彼女は絶対岩男にとってのよき理解者だよ。

監督は90年代サブカル露悪的なものを浴びて育った世代だろう。今やそういうものは最初から敬遠されがちだ。とにかく色んな人から悲哀がただよってきて、上っ面だけではどうにもいかない自らを省みつつ、オ◯◯ゴ~の連発に力なく笑うしかなかった。


グロテスクだったあの母親。姥捨てというのは究極の自己責任。奴隷制を内面化した果ての行為。それを他人に強いる。嫁を評価してしつける、これで受け継がれていくのが家制度。役に立つか立たないかが基準。これで育ちあがった人間が尊厳とか人権とかを他者に抱けるものなのか。岩男の生きづらさはこの母親から来ているものが大半だろう。岩男が撃つべきはまず母親だ。

今観るとインセル男の話にも読めるがどうか。まぁそう見られても仕方のない所はある。貧しさと寂しさの問題は違う。後者の問題は自分で何とかする以外にない。周りに声を上げたってんなもの上野千鶴子が言っていたとおり「死ぬまでオナニーしていてください」以外にないだろう。

だからといって不器用なだけで排除していいのか。人を機能だけで測ってよいわけがない。ではみんなちがって、みんないいみたいな価値観だけで満足するか。承認を求めない生き方もあるだろう。だが足りない。そこで出てくるのが愛。与える力。岩男には行動力があった。他人に対してそのエネルギーを向けられた時に初めて岩男は変身した。愛は心の仕事です、とはホントよく言ったものだ。
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