ガンビー教授

ヘレディタリー/継承のガンビー教授のレビュー・感想・評価

ヘレディタリー/継承(2018年製作の映画)
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とにかく上映時間中ずっとめちゃくちゃ怖い、というより、ひたすらうすら寒いような不安感に襲われるんだけど、映画を観終わってから思い返しても何が怖かったのかが判然としない。いや、話が分かりにくいわけでは全然ないし、抽象的な恐怖で迫ってくるような作品というのともちょっと違う。
映画でも過去の出来事でも、何かを思い返す(あらためて自分の中で記憶を巻き戻し、言語化する)という作業は、いったん受け取ったものを自分の中に取り込んで、咀嚼してから吐き出すという過程が絶対に必要だが、それができない。見たものをどう咀嚼していいのか分からない。物語の骨格となっているモチーフはこれまでもホラー映画で繰り返し取り上げられてきたものだし、そこが斬新なわけではない。でも圧倒的に呑み込みづらい。もう、何なんだこれは、やめてくれ……と思いながら気付くと映画が終わっていて、見たものを思い返そうとしてもひとつひとつの怖いシーンやショッキングな展開は映像として浮かんでくるんだけどそれをどう捉えていいのか分からなくて、上手く言葉にできず、「とにかく怖かった」という感情だけが残っている。「悪夢的」と言われる映画は多くあるけど、個人的な印象ではこれまで見てきたどの映画よりもこのヘレディタリーが本物の「悪夢」を見たときの感覚に近い。「完璧な悪夢」という表現は、まさしくと思う(繰り返すが物語の内容が分かりづらい映画では全然ない。誰でも見れば何が起こったのかは分かる)。

しかし、何であんなに顔が怖いんだろう。役者の顔が怖い。まず何を考えているのか全く分からないような妹(チャーリー)の顔が怖い。映画の中ではあまり見かけないタイプの顔つきではあるが、あんな顔の人は世の中にいっぱいいるはずなのにそれでも怖い。そして、恐怖に歪む母親や息子の顔も怖い。特に母親(アニー)を演じるトニ・コレットの恐怖顔は凄い。怖い。最近古い映画とか見ていても思うが「怖い顔」というのはどんなに時代が進んで見てもやはり怖い。このヘレディタリーのトニ・コレットの顔も、おそらくは数十年経って映画の歴史が進んでから見返してもきっと怖いだろうと思う。

そしてアリ・アスターという才能……異様なんだよな。たぶん(ヒッチコックのように)角度やショットなどすべて事前に計算済みで撮っているタイプの監督なんだろうけど、ひたすら端正かつ要所要所においてトリッキーな映像には息苦しさと異様な空気感が漂い、目の前に展開されるものの「今まで感じたことのない空気」にやられてしまう。ひょっとしたらこの感覚ってのは、アリ・アスターがこの先何作か映画を作って、作風なども知れ渡って、有名な監督になってしまってからでは味わえない感覚なのかもしれない。ともあれ画面に才気がみなぎってしまっているタイプの監督というのはしばしばいるのだけど、これは誰の目にも明らかだろうと思う。

ちなみに、本作をJホラー的と表現するのにはあまり賛成しない。アリ・アスターという人は古今東西の映画/ホラー映画表現を"継承"して自家薬籠中のものにできている(ゆえに画面からクラシックとフレッシュな印象の両方を感じ取ることができる)ようなシネフィルっぽさの匂う監督である。一方で、Jホラーが世界のホラー表現に与えた影響の大きさというのもひとかどのもの(と言っていいと思うが)であるので、現代において、映画/ホラー映画に対する理解の深い人間が吸収してきたものを注ぎ込んで映画を撮ったらJホラー的な表現が一部に組み込まれるのも自然なことだ(イット・フォローズなどもそういう映画だった)。つまり、当然それぐらいは履修済みであるよ、ということ。

ここ10年ほど、特にアメリカで作られるホラー映画シーンでは「ポスト・モダンホラー(ポストモダン・ホラーではない)」と呼べるような、ホラーというジャンルを再解釈/再構築したような作品が主に若手の監督たちによって作られてきた。不思議と作家性の強い、奇妙な印象を与える良質なホラー作品が気付けば量産されているという状況が出来上がってきていたが、それらは全て、その極めつけとしての「ヘレディタリー」という作品を召喚し実体を与えるための布石だったんじゃないか? とすら思えてくる(変なこと言ってるかな……)。これは確かに現代ホラーの頂点だと思う。全員見に行ってほしい。万人向けの映画ではないが、それを言い出したらそもそも『ヘレディタリー』を見るのに向いている人なんかいるわけないのでやっぱり全員見て!

また、こういう良質なホラー映画を見ていると考えてしまうことだけど、なぜホラー映画がこの世に存在しているのか? という何回も繰り返されてきた問いに対する答えは、「世界(現実)がそもそも怖いものだから」ということに尽きる。映画は虚構だったとしても我々の感じる恐怖は間違いなく本物であり、ということはその恐ろしさは確かに現実のありようを反映している。すべての優れた映画と同じように、優れたホラー映画を見た観客は、世界の本当の姿を知ることができ、世界の見え方が以前とは異なってしまう。それがどんなに恐ろしいものであったとしても。ホラー映画にはそういう力がある。
ガンビー教授

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