猫とフェレットと暮らす人

教誨師の猫とフェレットと暮らす人のネタバレレビュー・内容・結末

教誨師(2018年製作の映画)
4.0

このレビューはネタバレを含みます

死ぬこととは何なのか?を考えながら、死刑囚の事を少しだけ知れる映画。

大杉漣と死刑囚6人との会話で、ほとんどの時間が費やされる。
ほとんどが1室で成立しているので、大杉漣のセリフ量が引くほどすごいし、ずっと演技してるのもすごい。とにかく、「大杉漣がすごい」の映画でもある。

※レビューでは敬称略とさせていただいております。

大杉漣はこの映画のエグゼクティブプロデューサーでもあるのだが、監督・脚本の佐向大が書いたオリジナル脚本をみて「役者にケンカ売ってるのか」と思ったらしい。
大杉漣は作る側でもあるので、自分で自分にケンカを売ってるって表現がおしゃれだと思った。

死刑囚6人はとても個性的だし、わかりやすい。
モデルが居るんだろうなぁって思わせる。

死刑になった具体的な経緯は分かる人もいれば、不明のままぼやかされてるが、それが観てる側の想像を掻き立てるので、いい演出。てか、事件については、1室で会話しか行われてないので、事件動機や経緯の詳細は謎が多いし、この映画では、事件よりも、死刑囚という状態の人がメイン。
それが、死刑囚という非常に特殊な「死刑」という刑を受けた人の人間性を推測する。それを引き出すのが、大杉漣という素晴らしい俳優の技量。

余談ではあるが、以前、たまたま死刑囚について語られる動画を拝見したが、事件の内容はさておき、死刑囚に「なる人」と「ならない人」の境界もあるらしい。
お金があれば、良い弁護士が雇えて、死刑にはならないケース。
頭が良ければ、死刑にならないケース。(IQが低いと自分の弁護もできなく、稼ぎもあまりなので...)
というのがあるらしく。
進藤正一(五島岳夫)という死刑囚(おじいちゃん)がある意味、物語っており、いたたまれない感覚にもなる。
また、布団屋の小川一(小川登)もお金が無かった故にみたいな感じ。
(話がずれるが、小川登という俳優さんは監督の友達なだけっていう。本当に布団屋の息子で今の本業は会社員)

私が死刑制度について、考えを述べる事をここではしないが、この映画が考える一つのきっかけにななり。映画という作品にする事が、とっても価値のあるものだと思う。

ラストシーンも印象的で、主人公の教誨師である佐伯保(大杉漣)が車で奥さんに送迎されているとき、お酒の量を注意されたり(死刑囚との会話ではお酒はほとんど飲まないと言っていた)、たばこをポケットから出したり、人に寄り添い模範ともなりそう教誨師でありながら、違った一面がある、人間らしさというか、幅を見せてくれたのが、良かった。

幅といえば、映画のアスペクト比(画面の縦と横の幅)が狭くしているのが、わざと情報量を絞るこむ為にしたそうです。監督のインタビューで背景とか情報を極力減らしたい。と言ってました。
情報減らしたすぎて、大杉漣を映さずに声だけにするとか、音声もモノラル音声にするとか、極力シンプルにしたいって案もあったらしい。さすがに、声だけとモノラルはやりすぎってことで、やめたらしいけど。
幽霊の登場も賛否があるらしいが、監督は映画としての抑揚をつけるには有りだと判断したらしい。

また、大杉漣のマネージャーのお父さんが教誨師だそう。

それにしても大杉漣の映画としての遺作になったのは寂しくもあり悲しくもある。「人はいずれは死ぬ」形の違いはあるが、ということを私にしっかりと教えてくれた大杉漣のご冥福をお祈りします。