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止められるか、俺たちをのeyeのネタバレレビュー・内容・結末

止められるか、俺たちを(2018年製作の映画)
3.9

このレビューはネタバレを含みます

"止められるか、俺たちを" (2018)

1960年代・70年代の時代における
若松プロダクションの物語

当時の日本社会は
若者が安保闘争に明け暮れて
大人たちや既存の権威に
逆らっていた

そういった社会風潮も相まって

若松プロダクションは

・反社会的なメッセージ
・生と性の組み合わせ
・時代と社会を撃つ

抑止・制止があれば
それ抗うように
必ず戦う精神を持ってる

映画では何からも
自由を示すための行動で

"放尿"を行なう

劇中この行動は

"感情を解き放つ"

メタファーでもある

撮影する映画は
内側から湧き出る怒りや
理不尽を昇華している

監督の作品には
人間が持つ衝動は"性"が原動力で

まさに "リビドー全開"

 フロイト先生も頷かれるであろう

人間の生身の部分を映し
良い意味で目がギラついてる

物語の軸として
主人公 吉積めぐみの
昂揚感・虚無感を描いてる

青春を駆け抜ける様子が
テンポよく軽快に映し出されてる

オバケやガイラが抜けた
若松プロ内の変化も描かれている 

紆余曲折あるからこそ

"そこに青春は間違いなくあった"

って感じられる

若松プロダクションのガソリンであるウイスキーに生と死が暗喩されてたり

めぐみの離れた父親への隠れた愛情である"エレクトラコンプレックス"も描かれてる

『噴出祈願 十五歳の売春婦』の中で身篭った女学生とめぐみ自身を重ね合わせるシーンがあるが

その先の展開を思うと
胸が痛くなってしまう

劇中にてめぐみは
読売新聞の取材の中で

いずれは若松孝二に
刃を突きつける思いを語る

一方で
描きたいテーマは結果見つからずにプロダクションを引っ張る重圧は増し自身も妊娠してしまう

若松監督に向けるはずの
刃が自分に向いて 

選択した道は

"死"だった

観てる側からしたら
この救われない展開は
とてもつらかった

若松孝二監督も
ゲバラの写真と隣に並ぶ
めぐみの写真を遠くから眺めて

改めて衝動的映画を撮り
"世の中をぶっ壊す"宣言をする

暗転後エンドロールに表示される

"我らが師・若松孝二と
この時代を駆け抜けた人々に捧ぐ"

の表示を観たときに

観てる側も胸が熱くなってしまった

たった一度しかない人生に

消えない情熱と
ブレない信念を持って

映画に傾倒する人たちの
素晴らしい姿が体験できる映画だった
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