いののん

幸福なラザロのいののんのレビュー・感想・評価

幸福なラザロ(2018年製作の映画)
4.2
私たちの村には、もう神はいない


“ラッザロ” “ラッザロ” “ラッザロ” 
その名を呼ぶことは、本来は幸福を招く行為だったはずだ。“ラッザロ”と呼ぶだけで、それだけで幸福が舞い込んでくる。神に祝福される言葉。神聖なものの一端に触れる言葉。


それなのに、私(たち)は、ほとんどの場合、その神聖さに気がつかず、神に祝福される言葉だと気がつかず、幸福を逃していく。幸福は、私(たち)の手の中からこぼれ落ちていく。毎日の生活のなかで、無意識のうちにもそれが習性となって、常に損得勘定をし、都合良く、“使える人“をこき使う。修道女さえそのラッザロに気がつかない世の中だ。


私の村落には、もう神はいない。
それでも、いつかいつか、ラッザロはまた私の前に現れるのだろうか。そしてその時にこそ、私は彼がラッザロだと気がつくことができるのだろうか。(できるのでありたい。できる私でありたい。)ラッザロの前で、私も同じような善人で(それは到底かなわない望みだとしても、私の場合には超ミクロンの善意だとしても、)いられることができるのだろうか。


観てから時間が経過した今もなお、ラッザロの無垢な瞳が私を見つめている。ただただまっすぐに見つめてくる。その視線に私は耐えられるだろうか。まっすぐに見つめ返すことができるのだろうか。私は、試されているようで、問われているようで、少しこわい。


狼の遠吠えに耳をすませ。
狼の遠吠えがきこえたならば、ラッザロの再来は近い。
その時こそ、私は




ーーー

*私にとっての関連図書(自分用のメモ)
「おおきな木」
「幸福な王子」
「ほうすけのひよこ」
いののん

いののん