この映画はいい映画だと思う。
自分自身よりも証明書の有無を尊ばれることや、劣悪な環境、境遇、それが普通であるとの認識
現在の極度の貧困層の苦悩を感じさせる
遊園地にある女性像の服をはだけさせ胸を露出させるシーンは主人公が母親の愛を求めている演出に見えた。
子供達の演技がとても素晴らしい
しかし、この映画で感じる問題の投げ掛けに違和感を覚える。
そもそも極度の貧困に暮らす家庭は、たくさんの子供がいないとやっていけない。子供は労働力として必要だし、病気で命をおとしやすいぶん、多めに子供をつくらないといけない(日経BP社『ファクトフルネス』p115)
これが極度の貧困における子供の立ち位置、勿論極度の貧困状態の子供全員がそうではないと言っておきます
またこの映画に出てくる登場人物達はこの一般的な極度の貧困に当て嵌まらない気もする。
何故なら、彼等は難民だからだ。
この映画が私にとって非常に煮え切らないのは彼等が難民であり、自国のシリア情勢やヨーロッパ等の難民受け入れに関しての動向を前提にして、
子供達が不幸になっています。レバノンは今このような状況です。他国の皆さん難民の受け入れは難しい問題ですが、考えてみてください。とか、シリア情勢がこうなってます。それは元々アメリカとロシアが…
と直接的には主張せず
むしろラストやこの映画の肝となっている両親への訴え、反出生主義を主張しているところがとても引っ掛かる。
しかもゼインの父親は脚を怪我している描写があるため満足に働くことが出来ていない。
そして面会に来る母親(極度の貧困層の価値観)に対してゼイン(我々と同じような価値観)が発する言葉も痛々しい
監督が言うには全ての子供には愛される権利があるということを言いたかったようだが、そこに難民と貧困、裁判、演じてる役者達の状況を混ぜてしまった為何が一番言いたいのかわからなくなってしまった印象。
正直、自分を生んだ罪を主張するならばその後の判決が最も気になるところ。そこまで描いてくれれば私は満足でした。
あぁ~あと人を刺して証明書類を得るってのはどうなんでしょうか?
ヤバいどんどんこの映画の評価が…
ちなみに文章を引用させて頂いた『ファクトフルネス』という本を読めば現在の貧困や今後危惧されることへの不安についてはかなり理解できると思いますのでお薦めです。(移民問題についてはかかれてませんけど)
これを読んでしまうと『インフェルノ』や『12人の死にたい子供たち』に出てくる悪役の主張は否定されてしまって、今後その主張をしてくる悪役は勉強不足を指摘されちゃいますね