アンゲラ・シャーネレクの映像の<神経衰弱>。シャッフルされる時系列を繋ぎ合わすのに頭を使った。ベルリンからマルセイユへ来た写真家のゾフィーがカメラを通して何を見ようとしていたのかが気になり、突然変わる時系列に驚かされながら、記録映画みたいな映像に惹き付けられた。
物語るのを拒んだつくりなのは、主役のゾフィーが他者に知られたくない物語を生きているからに思える。
カメラの被写界深度が浅く、ゾフィー以外の背景がボヤける。または広角で街の騒音と共に、街の中に溶け込んでいくゾフィー。
ゾフィーの撮った写真はあまりアップで映らなかったが、道路や工場、建築物等、無機質なものや構造物が多く、不思議に思った。ふだん人物を撮る写真家のアシスタントだからかもしれない。
「家にはいたけれど」同様に舞台女優であったシャーネレクらしく、チェーホフの「かもめ」の舞台が差し込まれ、描かれていないゾフィーの背景が想像される。
ゾフィーは、なんとなくだけれど、師の妻ハンナを愛しているようにみえた。しかしハンナは…。複雑な人間関係から離れ、ゾフィーは移民の街、マルセイユに一時休暇にやって来たのだろう。
マルセイユはとても都会で、アルジェリア等のイスラム文化の香りがした。
遠浅で穏やかな波のビーチ。人の群れの中に消えていくゾフィー。移民であることの気軽さ。
シャーネレクの独特の映像表現に、あまり数多くは観ていないけれどヴァルダの雰囲気が感じられた。背景は街そのもので、おそらく登場人物は地元の人。時系列シャッフルがなければ、ストーリーはシンプルだ。でも、言葉にできない無口なゾフィーが身近な人物に見えてきて、心配したくなるリアリティーがある。不思議な作風。他作品をもっと観てみたい。