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夜明けのkuuのレビュー・感想・評価

夜明け(2019年製作の映画)
4.0
『夜明け』映倫区分G。
製作年2019年。上映時間113分。

ある日、川辺を歩いていた初老の哲郎は、水際に倒れていた1人の青年を見つける。
哲郎の自宅で介抱された青年は自ら『シンイチ』と名乗った。
哲郎とシンイチは徐々に心を通わせ、哲郎は自身が経営する木工所でシンイチに技術を教え、周囲もシンイチを受け入れていった。
しかし、シンイチは本名を明かすことができないある秘密を抱えており、哲郎もまた決して忘れることができない過去があった。

物語の終わり方をどうとらえるかで感じ方が変わる作品かなぁと思います。

しかし、柳楽優弥と小林薫はエエ演技するなぁ。

物語では、多くの映画で描かれる様な大事件は起きない。
しかし、鑑賞者にとっても、一つや二つ己にとっては大事件を見ないままにしてることは多々ある。
『臭いものには蓋をする』よろしく、都合の悪ぃことや、醜聞が他に漏れないように一時しのぎの方法で隠すこと大事件でもコマイ事でも多々ある。
とりあえず問題と思っていてもそれを先送りにしざる得ない状況もある。
蓋をしたことも忘れている様な、かなりの楽観的な人も稀にはいるかもしれへんが、それは、一時的に心の中が整理され晴々するかもしれへんけど、記憶って箱は鍵を開けるまで記憶されているから良いやら悪いやら。
実際、悩んどった当時のままに、映像や音声が思い出されることがしばしばあると思います。
こないなタイミングで、思い出してしちまった、嗚呼。
ある言葉に釣られてもて、嫌なことを思い出してしちまった。
等々。
長年の記憶の風化とともに忘れているだけで、記憶が消えたとは云えへん。
『臭いものに蓋』てのは、一見すると簡単そうに見えるけど、実は心ん中に蓋をして見えない努力をしているにすぎない。
日頃から無意識の内に努力をすっことで、過去の記憶は分厚く大きいものとなる。
『臭いものに蓋』を解消するんは、過ぎ去った過去の出来事を受け入れてるしかないのかも知れへんし、それに附随する罰も受ける方がエエかも知れへん。
過去の失敗から、学びになったことを探して、学んだら次は、どないして行きたいのか考える。
そんなんが受け入れのプロセスやとは思う。
作中の柳楽優弥演じるシンイチと小林薫演じる哲郎も過去の彼らにとっては大事件から各々が、問題に向き合い解決せず、また、受け入れもしないまま、取り残され袋小路に入り込んでいる話で、見てる側は稀な出来事ちゃうやんと思うかもしれません。
しかし、『臭いものには蓋』は誰しも持ってることやし、それを放置したらこないなことも起こりうる。
それを見ようともせずにいたら、ひょっコリと対峙しなくてはならない状況に陥るてな感じで観れば、
多少なりとも『夜明け』はグッとくるんじゃないかな。
夜明け前てのは踠き、一番暗く寒い。
夜が明け、朝が来ても急には明るくならない。
そんでも、みんな過去も未来も抱えて、己を確立して現在を生きていくしかあらへん。
踏み切りに佇むたシンイチは、偽名のシンイチじゃなく、心身ともに本名のヒカルとして線路を越えて歩み種々の問題と対峙していくと信じたいなあ。
その時、回りが受け入れてくれてると小生は信じたい。
フィクションに何マジに書いてんだか

最後に、
中原中也の同名の詩があります。
今作品と関係はないのですが、悩める人たちに明けない夜はないと信じて歩んで欲しいと切に願いますので、抜粋させていただきます。

夜明け
           中原中也
夜明けが来た。
雀の声は生唾液(なまつばき)に似てゐた。
水仙は雨に濡れてゐようか? 
水滴を付けて耀[かがや]いてゐようか?
出て、それを見ようか? 
人はまだ、誰も起きない。
鶏(にはとり)が、遠くの方で鳴いてゐる。
――あれは悲しいので鳴くのだらうか?
声を張上げて鳴いてゐる。
――井戸端はさぞや、睡気(ねむけ)にみちてゐるであらう。

槽[おけ]は井戸端の上に、倒(さかし)まに置いてあるであらう。
御影石[みかげいし]の井戸側は、言問ひたげであるだらう。
苔は蔭[かげ]の方から、案外に明るい顔をしてゐるだらう。
御影石は、雨に濡れて、顕心[けんしん]的であるだらう。
鶏(とり)の声がしてゐる。
遠くでしてゐる。
人のやうな声をしてゐる。

おや、焚付[たきつけ]の音がしてゐる。――起きたんだな――
新聞投込む音がする。
牛乳車(ぎうにうぐるま)の音がする。
《えー……今日はあれとあれとあれと……?………》
脣(くち)が力を持つてくる。
おや、烏(からす)が鳴いて通る。
kuu

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