未鑑賞のままにしてた己を責めたい。
お見事としか言いようがない。
これほどまでシンプルなCQに
人物設定や構成も秀逸なのに、画面上のみで繰り広げる展開を作り上げるのは勿体無いとも思えるくらいの出来栄え。
映画を観ようとする→
映画館 or 借りる or 今であれば配信サービス→
本編上も画面のみ。
この時点で< Seaching >の魔法にかかってしまったとも取れるし
物語が始まってからもずっとだ--
パパ目線(観客目線)から離れず
何かしらを検索中・探索中・模索中・・・と
自然にこの手法を強いられ
寸分違わない、このミスリード...
ミスリードへの歩み方も然り
ヒントも漏れなく出没しているし
気付ける人は気付けるんだろうが
完全に自分はアイツの手腕に騙されてしまった。
この映画には一体いくつゲシュタルトの要素があるんだろう、と考えれば考えるほど
頭ん中で検索をかければ、かけるほど
劇中の文字や言葉を鵜呑みにしてしまうだろう。