Yoshishun

劇場版 ヴァイオレット・エヴァーガーデンのYoshishunのネタバレレビュー・内容・結末

4.8

このレビューはネタバレを含みます

「この作品を、このシリーズを、いつまでも"愛してる"」


舞台挨拶LV付上映にて。

新作映画では久々の☆4.8。これはTVシリーズと昨年公開の外伝を兼ねてるのもあるが、「愛してる」を知りたい少女の物語として、これ以上ないフィナーレ、そして多くの感動を与えてくれた感謝も込めての評価だ。

2018年1月から放送されたTVシリーズ『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』の完結編。数年の月日が経ち、街1番の自動手記人形(ドール)となったヴァイオレット。淡々と仕事をこなしながらも、彼女の心のなかには常に恩人・ギルベルトがいた。戦争も終わり、時代は変わりつつあるものの、彼女の心は未だに変われずにいた。ある日、彼女の働く郵便社のホッチンズ社長は、社内倉庫に宛先不明の手紙を見つける。

ストーリーは王道、なのに涙腺崩壊してしまうのは、本シリーズがアニメであることにある。恐らく実写でやったらかなり寒いことになるし、拒絶反応が出るだろうなと思う。感動パートについても、「さぁ泣いてください」という露骨さは感じず(個人差はある)、直前までの物語がうまく構築されているのも相まって素直に感動できる。非常にバランスが良い内容である。

本シリーズが描いてきたのは、「伝えられない想いを伝えること」にある。ヴァイオレットはギルベルトに、ディートフリートはギルベルトに、各キャラクターの伝えたい想いを伝えられないもどかしさが繊細に描かれてきた。その想いを言葉として生み出すのが手紙である。人々の心の代弁者として、ヴァイオレットなどドールたちの存在が必要であった。完結編となる本作は、一貫して描かれてきたこのテーマについて、過去、現在、未来を交差させながら見事な結末を迎えた。勇敢かつ芯の強そうなイメージのあったギルベルトが、本作では戦争での傷が癒えず、引きこもりにも近い存在となっていた。「愛してる」と伝えたヴァイオレットに対しても、自らのしてきたことへの贖罪を含め、素直に振る舞えないでいる。そんな彼を突き動かしたのは、彼女からの最後の手紙である。舞台挨拶上で監督は、「手紙の最後の1文が台詞として読み上げられていない」と述べていたため、その最後の1文はまさに観客の想像に委ねられたというわけだ。展開上恐らくあの言葉だと推測されるが、演出として敢えてその一言を排除したのは、素晴らしかったと思う。
また、本作のサブストーリーについてもそのテーマは描かれる。病気で入院している少年ユリスとの一幕は、今までさまざまな客と対峙してきたヴァイオレットにとって、最も個人的感情をもった相手だったかもしれない。ユリスの無邪気さの裏にある正直な気持ちがクライマックスに向けた大きな伏線になっているのが脚本として優れている。また、ユリスと親友リュカとの"電話"を使用しての最後の会話には、手紙にとって変わる伝達方法の提示であり、時代の変化をも匂わせる。

また、本作はTVシリーズから追ってきたファンへのサプライズも忘れていない。逆にいえば、今までシリーズに全く触れてこなかった人がいきなりこの完結編を観るにはあまりにももったいない。是非前作の外伝に至るまでの作品を履修してからの鑑賞を薦める。
冒頭を観てもわかる通り、TVシリーズ屈指の人気エピソードである第10話に関連している。思えばあの話も、TVシリーズの時間軸を超越して、客自身が病死しもう存在していない未来についても語られていた。アンの孫にあたるデイジーが語り手に近い立場で、物語は展開されていく。デイジーが家出をする動機は残念ながらあまり共感できなかったが、ヴァイオレットの生涯を捉えるうえでは欠かせない存在であったことは確かだ。ヴァイオレットの手紙が時代を超えて人々を繋いでいく演出も見事だ。また過去に登場したキャラクターが写真のなかに映っていたりと、ストーリー以外にも工夫が凝らされているのが楽しい。

他にもまだ本作の見所は多くある。
今まで詳細には語られなかったブーゲンビリア兄弟の確執もその一つだ。兄弟間で何故あそこまで性格や思想が異なるのか疑問だったが、本作でようやく納得できる答えが用意されていた。彼らの父についてもサイドストーリーとして観たいとさえも思えた。
また、ディートフリートやホッチンズといった脇役たちの成長および顛末についても言及したい。特にディートフリートについては、ヴァイオレットへの態度や行動も全く違うものになっていたのに驚いた。「ギルベルトを殺したのはお前(ヴァイオレット)だ」「貴様は道具だ」と罵っていた頃とは180度違う。終いには彼の所有している小舟にあったギルベルトの所持品でさえも明け渡したりする。同じ愛する人を失ったのは、ディートフリートも同様だったと痛感させられる。また、ホッチンズの保護者としての接し方にも変化が起きる。ヴァイオレットとギルベルトの再会後の花火シーンでは、隣にヴァイオレットがいないことに涙する印象的なショットがある。まるで愛娘が彼氏に取られたが如く、ホッチンズの愛情についてもちゃんとした結末が用意されている。
演出や映像面では、申し分なしである。洗練された映像美、木、土、空、水に至るまでこだわり抜かれている。CGについてもほぼ違和感がない。
また京アニらしい演出もチラホラ。青春ものに多かった、感情が最も昂る時やクライマックスで主要キャラが全力で走る。本作の最も重要な場面でその演出がなされ、シリーズ最大のカタルシスを生み出す。また二人が出会った際の抱き締めるという行動も、ラストシーンではその意味合いが大きく変化し、「愛してる」を探す物語の終着点を表しているようだった。

京アニ作品では『涼宮ハルヒの消失』の次に長い140分という尺ながらも、あっという間だった。続編は作ろうと思えば作れそうだが、この完璧な完結編の後日談などは明らかに蛇足でしかない。TVシリーズから続くヴァイオレットの物語を満足のいく形で完結させてくれた京都アニメーションの方々に感謝と尊敬の意を込めて。

これからも応援してます。
Yoshishun

Yoshishun