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この世界の(さらにいくつもの)片隅にのtanayukiのレビュー・感想・評価

4.8
水原哲「うちが貧乏じゃったけえ、兄ちゃんはタダで行ける海軍兵学校入った。兄ちゃんが死んだけえ、わしゃ海軍入った。ぜんぶ当たり前のことじゃのに、わしゃどこで、人間の当たり前から外されたんじゃろうかなあ」

△2021/02/04 Apple TVで2回目鑑賞。スコア4.8

広島原爆の日に見た。昭和20年○月○日、というテロップの中に自分の誕生日を見つけたとたん、急にそれが、自分が生まれるわずか25年前の出来事だという現実感が襲ってきた。幼いころの記憶をたどっても、戦争の爪痕は完全に払拭されていて、自分は生まれてこの方、戦争を身近に感じたことはない。だが、親の世代にとっては、戦争はたしかにそこにあったはずで、それがたった25年であそこまできれいさっぱり「なかったもの」とされたのは、世の中全体が、できれば忘れたい、思い出したくない過去として、それを封印したからだとしか思えない(高度経済成長がすべてを癒したことは頭では理解しているものの、それだけではないと思う)。

25年前といえば、2020年はWindows 95が登場してからちょうど25年。インターネットが普及し、ネットビジネスが生活のあらゆるところまで浸透してきたこの四半世紀を振り返り、生き残ったサービスの成功の方程式をひも解いた『ネットビジネス進化論』という本を担当した自分にとっても、25年前の記憶は鮮明で、現代に至るまでに大きな断絶はない(ただし、日本経済が失速して、世界の成長から取り残された「失われた25年」の苦い記憶ばかりだが)。両親にとっても、(自分が生まれた時点で)25年前の記憶は鮮明だったはずで、どういう思いをもっていたのか、あらためて聞いてみたいと思っても、5年前に相次いで旅立った両親に尋ねることはもはやかなわない。

北條すずになった浦野すずと、北條リンになれなかった白木リン。右手を失い、晴美さんとの記憶にさいなまれつつ、病院の予約の関係でふるさとの祭りに間に合わず、はからずも生き残った北條すず。いつのまにか当たり前の道から外れてしまった水原哲。夫を失い家を失い長男を手放し長女まで失った黒村径子。母親を見失い、父親を看取り、みずからも被爆して病に伏せる(そしてたぶん陸軍の将校さんとの淡い恋も実らなかった)浦野すみ。黒焦げになって帰宅した自分の息子に気づけなかった刈谷さん。すずの描いた南の島を夢見ながら肺炎で亡くなり艶紅を遺したテル。兄との再会もかなわず逝ってしまった晴美さん。母を失い、北條夫妻に拾われた戦争孤児。そしていくつもの片隅に宿る戦争の記憶。

△2020/08/06 Apple TV登録。スコア4.8

やっと二子玉でも解禁になったので見にきた。リンさんの話が加わったことで、まるで違う印象の映画になったことに驚いた。ショートバージョンはすずさんの視点だけを追えばよかったのである意味わかりやすかったが、こちらは「さらにいくつもの」視点が描きこまれて一回では咀嚼しきれない物語になっていた。戦時下でもそこに生きる人がいたということを思い出させてくれたのが前作だとしたら、しかしだからといってきれいに割り切れるほど人間は単純じゃないよと教えてくれるのが今作かもしれない。

△2020/01/03 109シネマズ二子玉川で鑑賞。スコア4.7
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