TOSHI

楽園のTOSHIのレビュー・感想・評価

楽園(2019年製作の映画)
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人生は、その人なりの地獄を生きる事である。誰もがそれに気付かないふりをして、スマホばかり弄り、機能的に日々を送っているからこそ、映画がその事実を突き付ける意味があるのだ。そんな作品を作り続けているのが、瀬々敬久監督だ。瀬々監督の新作が、「楽園」というタイトルなら、それは楽園とは、逆の世界を描いている事が想像できる。

ある夏の日に、Y字路で行方不明になり、殺害された少女。実際の事件を、彷彿とさせる。Y字路で別れる直前まで、被害者・愛華と一緒にいた紡は、不機嫌で愛華の誘いを断り、くれると言った花冠を受け取らなかった事で、愛華が殺されたのは自分のせいだと思い、心に深い傷を追う。
12年後、また少女が行方不明になり、当時捜索に加わっていた、豪士(綾野剛)が犯人として疑われる。
本作は三部構成で、第一章【罪】では、豪士に焦点が当てられる。豪士は偽のブランド品を売っている、フィリピン人の母親に育てられ、各地を転々として、この村に来たのだった。豪士が特に少女に感心を示す描写もなく、12年前の事件の犯人であるかどうかは分からない。村人達は、豪士の家に押し掛ける。誰かを犯人に祭り上げないと気が済まない、村という狭い世界の集団心理が恐ろしい。追い詰められた豪士は、衝撃の行動に出る。
群像劇になっているのが、瀬々監督ならではだ。大人になった紡(杉咲花)は、愛華の祖父(柄本明)から、何故お前だけが生きていると責められていた。そして、ふとした事から豪士と交流していたが、祖父から「あいつが犯人だと言ってくれ」と迫られ、東京に引っ越す。また、紡を好いていた広呂(村上虹郎)も、後を追って来る。

第二章【罰】は、Uターンで地元に帰って来た善次郎(佐藤浩市)の物語だ。善次郎は妻を亡くし生き甲斐を失っていたが、養蜂業のかたわら、何でも屋として、限界集落になりつつある地域を支えていた。
そして寄合で養蜂が村おこしに使えると提案するが、そのやり方が村人との間に軋轢を生み、村八分の末に飼犬も絡んで、大事件を起こしてしまう…。

まさに現代版の罪と罰であり、二つの実際の事件をモデルに、重厚なドラマが展開される。よく、受験に失敗したり、失恋したりして悩んでいる人がいるが、そんな事は何度でもやり直しができる。本当の苦悩とは、取り返しのつかない過ちにより、自らの存在自体を否定せざるをえない事、人目を避けるように生きなければいけない事なのだ。
第三章【人】では、東京で働く紡が、鬱陶しく思っていた広呂に次第に心を開きながら、事件の真相に迫る。
そして真実らしき物が示されるが、豪士が犯人であったのかどうかは、本作においては重要ではない。真実がどうであれ、決して救われる事がない紡が、全てを抱えて生きて行く姿が重要なのだ(毎度の事だが、杉咲花の表情による表現力に感嘆する)。二つの事件を繋げた点に、無理やりな感はあるものの、見応えは十分だ。

この世に生まれただけでは、その人の人生は始まってもいない。俺なんて・私なんて生まれてこない方が良かったと思った時が、人生のスタートラインなのだ。地獄へようこそなのだ。
私も、何度も死にたいと思った事がある。人生を振り返っても、何かを達成したとも言えない、悲しい独身中年である。生きている意味など無いだろう。しかし今では、何故かは分からないが、死ぬまでは生きてやると心が固まっている。仕事が終わった時に飲むビールとか、休日に観る映画とか、そんな些細な楽しみのためでも良い。地獄を、楽園として生きてやるのだ。そんな想いを、強くさせる作品だ。
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