Foufou

マダムのおかしな晩餐会のFoufouのレビュー・感想・評価

マダムのおかしな晩餐会(2016年製作の映画)
3.0
ワンシチュエーション物と思いきや、晩餐会はあくまで「起」。色彩や音楽などそこはかとなくウェス・アンダーソンを感じはするものの、テイストはリチャード・カーチスが手がけるようなラブコメ寄り。

場末の酒場で歌っているところをペドロ・アルモドバルに見出されて以来、彼の作品の常連となったロッシ・デ・パルマ。一度見たら忘れられない、容貌魁偉と形容したくなるような女優。ピカソの「アヴィニョンの娘たち」から飛び出してきたような。独特の華やかさを備えた女優ですが、本作は、彼女の魅力に捧げられた映画といってよいでしょう。その魅力を十全に引き出し得ているかはともかくとして。

冒頭の晩餐会ではそこそこハメを外してくれるロッシ・デ・パルマですが、せっかく召使いがその身をやつして上流階級の御歴々に混じって晩餐に臨むわけですから、あれではちょっと食い足りない。鼻持ちならない連中の内実は、物語の展開するに従って明かされていきますが、結局のところ不倫の切った張ったに過ぎないし、下層民の召使いがスノッブどもの鼻を明かしていくという仕立てでもないから、痛快コメディとはいかない。全体的に上品に、こじんまりとまとまった感があります。パリ郊外の邸宅など、ロケーションには見るべき物がございますけど。

最後のシーンで、橋を渡るロッシ・デ・パルマをカメラは望遠で収める。画面左から右へ、下手から上手に女優は移動する。別役実を援用するなら、「舞台では上手から下手へゆるやかに風が吹いている」ですから、逆路をたどる彼女を待ち受けるのはやはり悲劇なのだろう、と観客はちらっと思う。ところが、橋を渡り終えてから、今度はカメラは上手から下手へ移動する彼女を収めるので、これは順路となって、にわかにハッピーエンドが期待される。ところが、今度は足元を移すカメラは、逆路でも順路でもない、手前から向こうへ直進する彼女のハイヒールを映し出す。と、彼女の顔が大写しになって、これが段々と晴れやかな笑顔に変わる。顔の向きは順路。そしてまた足元にカメラ。これが、やや下手へ爪先を向いて直進する構図で終幕。と、彼女の恋物語の結末を、観客はカメラワークのみで知らされることになる。

映画全編に漂うお行儀の良さと、こじんまりとした感じは、たとえばこうした教科書通りの撮影技法によるところも少なくないんじゃないか、と。

あ、でも、否定的な意味で言ってるのではありません。観ながら小生なんか、なるほどなぁと感心しているわけです。

いえ、アルモドバルの見出した女優ですからね、この女優を主役にして、さまで上品な映画に仕上げられていれば、ファンとして満足しないわけがございません。
Foufou

Foufou