耶馬英彦

誰がために憲法はあるの耶馬英彦のレビュー・感想・評価

誰がために憲法はある(2019年製作の映画)
4.5
 日本国憲法を押し付けられた憲法と言う人がいる。しかしピタゴラスの原理やアインシュタインの一般相対性理論を、押し付けられた原理だとか、押し付けられた理論だとか言う人はいない。日本人が考えたことだけが正しい訳でもないし、日本人にあっている訳でもないのだ。

 日本国憲法のもとになったのはポツダム宣言である。ポツダム宣言は、ナチスドイツが降伏したあとで、その後どのように戦争を集結させるかについて宣言したものだ。そこには、最新兵器を用いた近代戦争である第二次世界大戦が世界中に大きな被害をもたらしたことに対する反省があり、人類として二度と戦争の惨禍を起こしてはならないという決意がある。
 日本国憲法で最も大事なのは前文で、平和主義と国民主権、福利の享受者が国民であること、それに基本的人権を明記している。アメリカの憲法に倣っているのかもしれないが、非常に格調の高い文章であり、日本が世界に誇れる素晴らしい憲法前文である。
 多くの人々が多くの人々に「愛している」と言う。「愛している」という言葉が同じであることを問題にする人はいない。誰が誰に向かって言うのか、どのような覚悟でそれを言ったのか、言われた人がどのように受け止めるのかが言葉の本質である。憲法の字面を挙げて押し付けという人は、憲法の本質を知らないのだ。

 渡辺美佐子さん演じる「憲法くん」によれば、日本国憲法が制定されたことを、日本国民はとても喜んだそうである。戦争が終わって、これまでは専制と隷従の世の中だったのが自分たちが主権者であるとなった訳だから、喜ぶのは当然だ。戦争は違法行為であり、戦争をする人は犯罪者なのだ。戦争は断固として拒否しなければならない。戦争の惨禍を知る人々にとって、どれほどこの憲法が有難かったかがわかる。
 これからは自由の恩恵を受け、国のためではなく自分のために生きていくことができる。自分の自由のために他人の自由、他国の自由を尊重し、協力して平和な世界をつくる。そのように決意したという言葉を、戦争の被害を受けた日本国民は厳粛に、そして大いなる喜びを持って受け止めたのだ。当時の国民にとって憲法は、天から授かった宝物のようであったに違いない。

 映画を鑑賞したその夜、日本維新の会の衆議院議員丸山穂高が、北方領土について「戦争で島を取り戻す」と発言したニュースがあった。戦争を知らない35歳の東大出の官僚あがりの議員である。憲法前文を読んだことはないのだろうか。戦争の惨禍がどれほど恐ろしいものであったのか、憲法前文に世界中のどれほどの反省が込められているのかを知っていれば、もしかしたらこのような発言はしなかったかもしれないが、そこは本人以外にはわからない。

 ポレポレ東中野は年配の人たちで一杯だった。若い人たちは、こういう映画に関心がないのだろう。残念に思いながら、渡辺美佐子さんが朗々と読み上げる憲法の前文を聞いているうちに、自然と涙が流れた。憲法を日本語として作成した人々は、敗戦の忸怩たる思いを捨て、日本人という変なプライドも捨て、その他あらゆるこだわりも捨てて、心を穏やかに澄みわたらせてから作成したに違いない。憲法の精神を理解する人が多いほど、この国が戦争を起こす危険は小さくなると思う。

 渡辺美佐子さんは、原爆の朗読会を続けながら訪れた広島で、敗戦の前の同級生水永龍男くんの集団墓碑に花を手向ける。老いたその姿は、かつて戦争によって断ち切られた淡い恋に、心密かにときめいていた少女が蘇ったようだ。その美しい嘆きに誰もがもらい泣きするだろう。日本中に観てほしい、素晴らしい映画だった。
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