とか27

ジョーカーのとか27のネタバレレビュー・内容・結末

ジョーカー(2019年製作の映画)
4.0

このレビューはネタバレを含みます

❶2019/10/5🎞
❷2020/01/30
❸2020/07/03
❹2024/10/28


🟨【良かったところ】
ゴミで溢れた路地裏、
壊された手持ち看板の残骸と共に
子どもにリンチされて倒れるアーサー、
そこにタイトルバックの【ジョーカー】が
アーサーを覆って包むように
映し出されるスタート。キレッキレ。

笑ってる演技の表現力だけで
観客の感情を両手で握りしめてくる、
ホアキンフェニックスの技量。

平田さんの日本語吹き替えは
歴史に刻まれる領域に達してるので、
平田さんを表彰するためだけに
本国アカデミー賞に
日本人声優部門を設立したい。切実。

画面全体をモヤで包むようなBGMが
この世界の重力を一層重くしてる。
スタートから常時バッドエンド。

子どもを喜ばせようとしたら
その子の親に払い除けられ、
破壊された看板の支払いを命じられ、
護身用の銃を小児病棟で落としたりと
本来だとどんどん
面白くなっていくはずの展開なのに、
主人公がすべてのマイナスに対して
反抗できずに受け身を貫いてしまった場合
ここまで可哀想に映るとは……。

後半の階段ダンスが注目されがちだけど、
更衣室から去って
「笑うな!」って看板を書き換えるときから
もうすでに階段をダンスしながら
降り始めてたんだなぁ……。

人を笑わせるようなプラスじゃなくて、
人に危害を加えてマイナスを与えることで
世間が騒ぎ出して
はじめて自分が存在してることを
実感できたっていう展開、あまりにも皮肉。

夢か/現実かっていう
曖昧な作品性を強みにして、
ジョーカーとブルースが
兄弟である可能性を匂わせてくる
中盤の展開は夢のようだった。
ジョーカーになる前のアーサー、
バットマンになる前のブルースが
面と向かって対面してるのも最高。

母の妄言である可能性と
父の体面である可能性を用いて
母とトーマスウェイン、
どちらが真実を口にしているのか
まったく分からないように
バランスを釣り合わせてくる
脚本の隙のなさが有難い。

現実と地続きに描いてるのに
コレは幻覚だろうなって
察するような場面が何ヶ所もあるの、
割とすさまじい技術だと思う。
アーサーの彼女の存在の有無とか、
憧れのマレーに
ピンポイントで馬鹿にされるとか、
明らかに現実味のない展開なんだけど
平然と事実ですって感じで存在してる。
なんなんだろう、
全部事実だと思って反応してる
ホアキンフェニックスの演技が
そうさせてるんだろうか……。

アーサーが
人の死を笑うジョーカーになったのは
他人に嘲笑されたからっていう、
笑いが生む悪循環の流れが興味深かった。
マレーの番組のファンってことは
おそらくアーサー自身も
(作中で人を馬鹿にして笑ってはないけど)
いままで無自覚にそういうお笑いから
喜びを受け取ってたはずなのに、
それはいったん棚に置いといて
被害者意識全開モードで
社会やマレーに怒りをぶつけるっていう
土壇場での人間らしさというか
行動のリアリティが良かった。
アーサーはマレーのことを嫌ってて
しかもそんなマレーから
大々的に馬鹿にされてしまう
みたいな展開でもいいところを、
あえてマレーの大ファンにしてるあたり
そういう意図はある気がする。
アーサー自身
自分が笑われる対象になるまで
マレーに笑われた被害者のことなんて
考えてなかっただろう?っていう皮肉。

アーサーの行動、思考に対して
「自己中」なんて感想を言ってしまえば
その時点で観客も自己中になってしまう
何も言えないタイプの強さを持った作品で、
あまりそういうタイプの作品は
好きじゃないんだけど
ホアキンフェニックスの演技を前にして
文句なんぞ並び立てている場合ではない。
我々に出来ることがあるとすれば、
ホアキンの桁違いなマンパワーに憧れながら
暖かいベッドの中で明日が来るのを待つのみ。
ホアキンフェニックスと
鈴木亮平のマンパワーには決して逆らうな。

パトカーの扉からじゃなく
小さな窓の方からアーサーを取り出すさまが、
ようやく社会に見つけ出された
アーサーの状況を表現してるみたいで
印象的な映像だった。


🟥【気になったところ】
音楽でいい感じに仕上げてるけど、
アーサーが階段ダンスのシーンに至る
あの展開への持って行きかたには
何度観てもあまり上手く乗れない。
あの音楽が与える高揚感と
そこに至る直前の盛り上がりが
ぜんぜん釣り合ってるように思えなくて
力尽くでこっちのテンションを
上げさせられてるみたいな感覚になる。
人を殺すことへのブレーキが
完全に壊れてるのは理解してるんだけど、
「殺したいから殺す」とかじゃなくて
殺す選択肢が選べるようになったから
解決の手段として
「ただ殺すことを選んでる」みたいな
簡単に殺しを選ぶことへの理解できなさが
階段ダンスのシーンに乗れない
大きな要因になってる気がする。

階段ダンスのシーンは
ものすごく「カリスマ誕生」みたいな
オーラを感じるシーンなんだけど、
あれはアーサーから出てるんじゃなくて
ホアキンフェニックスから溢れ出してる
オーラであって、アーサー自身には
それまでのエピソード含めて
人の上に立つような要素が
何も描かれてないから、
カッコいいなと思うのと同時に
哀れであり 空虚さを感じる。

また階段ダンスのシーンなんだけど、
テンション高めの音楽が
重たいBGMに切り替わるタイミングも
ちょっと足早な気がする。
もうすこし階段ダンスを観ていたいのに
唐突にバッドな音楽が始まるので、
観客の感情コントロール
けっこう雑にやってくるな…🥹って思った。


ありがとうございました。
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