真田ピロシキ

ジョーカーの真田ピロシキのレビュー・感想・評価

ジョーカー(2019年製作の映画)
3.3
絶望した人間を自暴自棄になったまま放置すれば恐ろしい事が起きる。あまり上から目線で下層の人間をジャッジしたりあまつさえ笑い物になんかするんじゃない。本作のトーマス・ウェインやマレーに代表される富裕層は確かに腹立たしい連中で格差を描けている気がする。しかしこの2人がどうも鼻持ちならない金持ちを戯画化したように見えて反格差映画としては入り込めなかった。同じものでありながら貧富が分かれる『アス』や貧乏人同士で足を引っ張り合う『パラサイト』のそれに比べると視点が鋭くは思えない。格差問題にジョーカーを加味した事が売りなんだろうがジョーカーというキャラが大嫌いな私には美味しいものではない。

でもこのジョーカーは嫌いじゃないですよ。何もかもが上手くいかない現実すら見失っている、それに対して何の手助けもなく心が弾ける寸前の危うさは自分には肌感覚で良く分かる。福祉関係者に「話聞いてないだろ」と言うのもスッゲーよく分かる。その場で言ってることすら聞いてなかった医者にかかってた事あるからね。この辺の描写はウェインやマレーにはないリアリティを感じる。遂にジョーカーとなっても何か特別な事が出来る訳じゃない。不意打ちか無抵抗の相手を殺しただけ。スーパーヴィランなんて馬鹿げた役割じゃなくてただの無敵の人にすぎない。どこにでもいるし誰でもなり得る。更にTVはブラウン管で携帯電話がなく映像の質感は古い感じなように時代を特定せずいつでも起こり得るという風に普遍的な存在として描かれる。そこは良かった。なのに結局はヴィランのジョーカーに寄せられてしまう。いやさ、アーサーは死んだり逮捕されてもジョーカーというアイコンは残り蔓延するじゃダメだったの?

一番ガッカリしたのはブルースの目の前でウェイン夫妻が殺されるシーン入れたとこ。何だよ、バットマンビギンズビギンズかよと。ラストでアーサーが言った理解できないジョークってのもブルースがコスプレして追っかけ回す未来を示唆してるんだよね?ジョーカーがバットマンを生むってのはジョーカーのオリジンコミックとして名高いキリングジョークを反転させ、バートン版バットマンを彷彿とさせる展開ではあるけれど、この映画でコスチューム世界を連想させるのは映画の純度を下げられたよう。