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ジョーカーのkazwowのネタバレレビュー・内容・結末

ジョーカー(2019年製作の映画)
2.9

このレビューはネタバレを含みます

何を言いたいのかよくわからない映画だった。
例えば悪役とヒーローにまつわる話で言えば、現実世界において我々は明らかにヒーローではなく、常に誰かにとっての悪役である。
ジョーカーと我々の間の違いは、ジョーカーは「誰にとっても」悪役であることだ。
そこに、アーサーのどうしようもない生い立ちと、生涯にわたって彼を苛む障害が絡んでしまうと、確かに観る側は自らのナイーブな悪役設定に怯む。
しかし、それはジョーカーと我々とが同じであることを意味しない。
なぜなら、我々は自分たちの中に、爆発する前のジョーカーがいる事を知っているからだ。また、彼ら、あるいは自分が爆発しないということも知っている。
爆発できず、またそれを選ばないという戦いを日々知る我々が、どうしてジョーカーに共感を覚えることができるのか。
戯画的なテレビ番組の破壊も、街の破壊も、フィクションとして描かれるべきものではなかった。
それは現実に、例えば今アメリカで進行してたり、あるいは世界のどこかで進行していることの焼き直しでしかない。
しかも、デ・ニーロが撃たれることはない事も、我々は知っている。
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