にしやん

さよなら、退屈なレオニーのにしやんのレビュー・感想・評価

さよなら、退屈なレオニー(2018年製作の映画)
3.5
自分がやりたいことも自分の居場所もみつからへん、カナダの小さな街に住む17歳の少女レオニーの姿を描いた映画や。
高校卒業の頃特有の社会や世間に対するシニカルな視点とか、何に対しても断定的にジャッジするところとか、エゴイストだったり自己中だったりするところなんかまあまあ描けてるんとちゃうかな。
実はこの作品には三人の象徴的なオッサンが出てくんねんけど、一人はゴリゴリ右翼の地元ラジオ局のDJの義父。それと今はあれへん地元工場での労働争議に敗れ地元を追われた労働組合の元リーダーの実父。それと最後は地元の親一人子一人の家の地下室で地味にギター教えて食うてるおっさんや。このおっさんのポジションがある意味キーやな。このおっさんについては一言で言うんは難しいんやけど、シンプル、人間愛、それと音楽や。それに極めて純粋で、単純で、素直。嫌みな部分とか野心とかも全くあれへん。かといって人生を捨ててる訳ではなく、人や物事を批判もせえへんし、彼としてはうまくやってるねん。このなんとも言えへんけれん味のない生き方とか物事の見方がレオニーを変えるんやな。
ちょっと強引かもしれへんけど、わし実はこの作品、表づらは青春映画の体裁やけど、極めて政治色の強い映画やと思たわ。カナダを含め世界全体が右傾化していく中で、本作主人公カナダの地方都市に住む17歳の少女のイライラした気分、義父に対してのささやかなる抵抗とかに、ある種の希望を託してるような気ぃしたわ。ちょっと飛躍し過ぎかな?
たぶんレオニーはこの地方都市を出ていくことになるんやろけど、彼女がこの街からいなくなること、世界中で静かに忍び寄るファシズムに対してのささやかな抵抗みたいなもんとかを、最後のホタルが象徴してんのかな。実はこの映画の原題は「La disparition des lucioles」、訳すと「蛍いなくなった」になんねん。蛍って周りが暗ならな見えへんもんってことやろ。レオニー自身がいなくなることとかもそうやし、どんどの保守化していく社会の中でのレオニーっちゅう田舎の一少女の社会に対するシニカルな視点ってもんについてもそういうことなんやろな。邦題の「さよなら、退屈なレオニー」でほんまにええんやろか?単なる青春映画ってことになるんとちゃうか?なんかちょっとちゃう気ぃするけどな。どうなんやろ?
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