いの

キラーズ・オブ・ザ・フラワームーンのいののレビュー・感想・評価

4.1
時期:1920年代(「義和団から20年以上経った」というような台詞があったから、そのように推定)
場所:オクラホマ
人々:オセージ族と、オセージ族の富を略奪しようとする白人たち


~オセージ族は五月を「花殺しの月」と呼ぶ~


石油が吹き上がる場面から物語が動き出す。吹き上がる石油というと、ダニエル・デイ=ルイスのミルクセーキを思い出さずにはいられない。吹き上がる石油は、男根&黒い精液を想起させられたり(こんなことを暗喩と思ってしまうようになってしまいました)、支配&征服とか、そういったこともイメージさせるなと思ったり。


ギャングとかマフィアとかの映画の怖さは組織の怖さでもあって、ルールを守らない者への制裁とか、互いへの疑心暗鬼のトルネードの怖さとか、そういうことかなーと思うんだけど、この映画はそういう怖さとは違う。烏合の衆的怖さというのでもなく、あえていうなら、烏合にもならないテキトーな人たちの怖さというのか(きっと違う)。デ・ニーロは自らを「キング」と呼ばせているけれど、組織とかそういうのとはちょっと違うと思う。白人入植者たちはキングが怖いから命令を聞くのではなくて、ゼニが入るからその損得で動くだけ。計画はあってないようなもので杜撰このうえない。杜撰だけどまあうまくいく。保安官も医師も。うまみをいただくものたちの緩いつながり。キングのイエスマンになっちまったディカプリオの小物感が巧すぎて。ホント小物なんだもの。妻への愛だけは本物だと思うけど(そう思いたい)。そのアンビバレントな感情を、みないようにして過ごしていたのか、自分で自分をごまかしていたのか、それとも自分がうまくやり抜くことファーストでそれほど複雑ではないのか。それは観ているわたしが推し量るしかない。


そして、そういった者たちに、いいように喰われていくオセージ族のやりきれなさ。ディカプリオの妻モーリーが慟哭する場面も忘れられない。慟哭する場面は背中から撮っていて、だからこそわたしは、その思いを想像するのだと思う。凜とした佇まいだったのが、諦めも漂わせるようになり・・・。彼女の最後の問いかけに対するディカプリオの返答について、真意をあれこれ考えてしまう


デ・ニーロ演じるキングが「わたしが皆を20世紀に連れてきた」みたいなことを言っていた。スコセッシは、デニーロやディカプリオが演じたような人物を、21世紀には連れてきたくなかったんだろうと思った。負の歴史をちゃんと見つめて、できれば20世紀のうちに精算しよう(閉じ込めよう)としたのかもしれない。80歳をいよいよ越えようとしたとき、過去を振り返って懐古的映画撮るよりも、自身の過去作では見つめてこれなかったことにあえて向き合おうとする姿勢をわたしたちに見せてくれているのだとしたら、それは尊いことだなぁと思う。ちゃんと受け取らないと。スコセッシも出てきてちょっとちょっとだったけど笑


あと、ジェシー・プレモンスが出てきてホントうれしかったなー。なんかホッとしたw


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【オススメ】

原作『花殺し月の殺人』は、Kindleでサンプルを無料で少し読むことができます。他の本より、試し読みできる頁が多いと思います。実在したモリー・バークハート、アーネスト・バークハートたちの写真や、アナの遺体が発見された谷の写真なども掲載されています。決してAmazonの回し者ではありません、念のため。
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