TAK44マグナム

ジョジョ・ラビットのTAK44マグナムのレビュー・感想・評価

ジョジョ・ラビット(2019年製作の映画)
3.8
ウサギは強い。


人間にとってなによりも大切なものは自由であり、愛であり、生きることなんだと力強く掲げる、「マイティ・ソー/バトルロイヤル」のタイカ・ワイティティが監督・脚本・出演など八面六臂の活躍で完成させた、現在アカデミー作品賞にもノミネートされている作品。


第二次世界大戦末期、ドイツの少年ジョジョはヒトラー総統を尊敬し、将来はナチス党員として活躍したいと願っていた。
彼の1番の友人は空想の産物であるイマジナリーフレンドのアドルフ。
アドルフは外見や言動がヒトラー総統そのもので、気弱なジョジョを奮い立たせてくれる「良いアドバイザー」でもあった。
ある日、予備兵としての訓練中にウサギを殺せなかったジョジョは、「ジョジョ・ラビット(弱虫)」と揶揄される。
しかし、アドルフは「ウサギは勇敢で、ずる賢いから強い」と諭した。
戦っても逃げても、とにかく生きることに貪欲なウサギは強いのだと。
しかし、張り切りすぎた為に訓練中に怪我を負ったジョジョはポスター貼りの仕事にまわされる。
そんな日常をおくるなか、ほどなくして自宅に隠された重大な秘密をジョジョは知ってしまうのだったが・・・


もうね、何がの良いって、演技が良いですね。
レベル・ウィルソンやサム・ロックウェルの誇張した不自然ささえも当時のドイツなら普通だったんじゃないかぐらいに思える滑稽さも良いし、主人公のジョジョを演じたローマン・グリフィン・デイビスくんの自然な演技が実に心を打つんですよ。
あどけない表情やチョコンとした佇まいにガツンとやられます。
とある場面での足にしがみつくところなんて、あれほど深くて切ない感情を伝えるのは演出の巧さだけじゃないはず。
すごい逸材が現れましたね。
これでデビュー作っていうのだから、俳優を続けるならどんなふうになってゆくのか非常に楽しみですな!
勿論、母親役のスカーレット・ヨハンソンも素晴らしかった。
処刑された人々を直視できない息子に現実を教える強き母親。
「スパイダーパニック」などに出ていたあの女の子が、こんなにも最高な母親の役を演じられるようになっていたんですね。
自身は自由のために活動する傍ら、息子の自由を束縛することなく、ナチスに傾倒しても責めたりは決してしない母親像は、成熟したスカヨハの演技があってこそだと思いました。
その他だと親友のヨーキーがキャラクターとして最高で、演じたアーチー・イェーツが「ホームアローン」で主演をはると聞いて納得。
誰からも好かれそうなルックスからして
完璧な才能じゃないですか。
キーマンとなるユダヤ人少女役のトーマシン・マッケンジーはとにかく凛として可愛かったので付き合ってほしいと切に願いました(苦笑)!

そして、ジョジョを導くイマジナリーフレンドであるアドルフは監督自らが担当。ヒトラーを茶化したキャラクターでありますが、言うこと自体は中々に深く、含蓄があります。
本作におけるコメディ成分の核は間違いなくアドルフなので、出てくるには観客の笑いを誘わなければならない重要な役目をおうわけです。
それなら自分で思うようにやってしまおうといったところなのかどうか分かりませんけれど、この「アドルフ」という幻想世界の住人は何ともいえない風味を映画全体に振りまくことに成功しています。
本作には(厳密には記録映像に登場しますが)ヒットラーは出ません。
思うに、あれはあくまでも「アドルフ」なのです。
ナチズムに心酔したジョジョが作り出した幻であり、彼自身でもあります。
挫けかけた時に勇気を与えてくれたり、困ったときに助言を与えてくれますが、その言葉は全て、ジョジョ自身の言葉なんですよね。
だからこそ、ジョジョの精神が一挙に成長する終盤、心に被さった最後の壁をはねのけるように「アドルフ」は永遠の退場を願われるのです。
迷いの無くなったジョジョに対してヒステリックになったり、弱々しく戯言を述べたりする等、タイカ・ワイティティの演者としての高いスキルが垣間見えたような気がしました。
アドルフは、父親不在のジョジョが寂しさから作り出したイマジナリーフレンドではないかと思うのですが、お母さん1人に育てられたというタイカ・ワイティティも、もしかしたら幼い頃に父親の代わりを想像上に作っていた経験があったのかもしれませんね。


タイカ・ワイティティは、世界には愛や寛容の心が常に必要だと説いています。
本作でも、本当の自由を勝ち取るには「他人を愛し愛されること」や「他人を理解する寛容さ」、そして「現実の世界で様々な経験をつむこと」が大切なのだと、(テーマとして)伝えてくれています。
ジョジョはたくさんの人々によって生かされ、嬉しいことや悲しいこと全ての体験が血肉となってゆく。
そしてその都度、成長し、心も強くなってゆくのです。
10歳の少年には重すぎる悲劇を経て、彼は一歩、大人へと近づきました。
本当の自由とは、本当の現実を知ることでもあり、監督はそれができていない現代を憂いているのではないでしょうか。
ジョジョのことをラビットだと小馬鹿にし、戦場へ向かうことを喜びと感じていた少年兵たちの末路などは印象的。
彼らは現実を知らなかった。いや、知らされていなかったのです。
それは大人の責任なのに、当時のドイツは、いや日本を筆頭に世界は嘘をついて戦争を続けていました。
懸命に生きるより、懸命に死ねと教育していたのです。

自分も含めて、SNSなど、ネット社会は特に不寛容が蔓延っていると感じてなりません。
みんな、自分の考えや思想以外を認めず、排除することに躍起になっています。
一見、寛容を唱えているように見えても、その実、自分の思いを押し通そうとしている人々も多く、ありとあらゆる層に伝染病のように蔓延しているのが現状でしょう。
何も経験せず、リアルに他人と触れあったこともないのに、攻撃的な言動を繰り返す人々。
それでは冒頭のジョジョと同じなのです。無知で、不寛容で、盲信的で。
しかし、ジョジョは変わります。
母からの愛で。
エルサとの触れ合いで。
苛烈な現実と向き合うことによって。
正しい価値観を新たに得るのです。

戦わずに逃げても、ジョジョは大切なものを守り通します。
「ジョジョ・ラビット」は、少年の目を通した見事な反戦映画でした。
我々大人は、子供たちに恥ずかしくないようにどうすれば良いのか?
まずは無駄な争いをなくすことではないでしょうか。
そして誰もが自由に「踊れる」、そんな健全な社会で子供たちが育っていけるようにするべきなのではないでしょうか。
その為に、ライオンにもウサギにも変幻自在でなければなりません。
どちらか一方ではいけない。
そんな大人を目指すべきなのでしょう。


情報に惑わされて、他人を枠にはめるのは、かつてナチスがユダヤ人に対して行った行為そのものじゃありませんか?
どうにも日本の不寛容社会ぶりを見ていても危機感を感じて仕方ありません。
本作を観て、いま一度それが明確に分かったような気がします。
とりあえず、SNSでもリアルでも不寛容ではないように気をつけたいと思いました。

本作ならではのラスト。
殺伐とした現代社会においては弱者の戯言に聞こえる、まるでお花畑みたいな帰結かもしれませんが、お花畑で良いじゃありませんか。
無味乾燥とした砂漠のような世界より、ずっと美しく、優しい世界であってほしい。それが正しい価値観なのだと信じていたいから。


劇場(シネプレックス平塚)にて