YasujiOshiba

ボーダー 二つの世界のYasujiOshibaのレビュー・感想・評価

ボーダー 二つの世界(2018年製作の映画)
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アマプラ。物語の世界にすっと入ってゆけた。ティーナの最初はギョッとさせる顔立ちが、目の演技でどんどん自然になってゆく。この美醜のコントラストの高まりとともに、世界のコントラストも際立ってゆく。一方には税関の殺伐とした白い廊下があり、誰もが多かれ少なかれ恥ずべき匂いを放っている彼女の周りの人々がいる。もう一方には、緑の森の薄暗い世界の動物たち(ただい人間に飼い慣らされた犬は除いて)がいて、あの湖の冷たく心地良さそうな水面が輝いている。

ぼくは一瞬『サーミの血』(2016)を思い出した。1930年代のスウェーデン、スカンジナビア半島北部の先住民族サーミに対して行われていた民族的な分離政策をテーマにした映画。この作品と愛通じるものがある。たとえ『ボーダー』が寓話を題材にしたものだとしても、寓話のほうが、実のところ、ずっとするどく深く、社会と人間に切り込んでゆく。

それにしても、あのメークだ!人と人ではないものの「ボーダー」をみごとに象徴する出来栄え。それに、あのチェンジリング(入れ替え子)のリアル。一瞬でデビッド・リンチの『イレイザー・ヘッド』(1977)思い出してしまった。

チェンジリングとは、「ヨーロッパの伝承で、人間の子どもがひそかに連れ去られたとき、その子のかわりに置き去りにされるフェアリー・エルフ・トロールなどの子のことを指す」という。この伝承は、実のところ、何らかの原因で「正常に成長しない子供たちの特異性を説明するために」用いられてきた可能性がある。それはほぼ確かなところ。

だとすれば、この伝承の背後にある無数のチェンジリングの命を想わずにはいられない。いくつもの命が、人間と人間ではないもののボーダーに追いやられ、狼男とか吸血鬼とかトロールなどの名前を与えられ、自然と人を分離しながらも結びつけるという、そんな無理難題を押し付けられてきた。

この映画は、そんな困難な生へのオマージュであり、讃歌であり、人間性の解体と再生を寿ぐ。いつの日か、遠い未来の考古学者の手によって掘り起こされ、そんなバカのことがあったのかと驚きとともにアーカイブされるようになればよい。そんな願いを、ぼくもこの作品とともに、生きたいと思う。
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