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窮鼠はチーズの夢を見るのKHのレビュー・感想・評価

窮鼠はチーズの夢を見る(2020年製作の映画)
2.9
年間ノルマ60本中の5本目。
『窮鼠はチーズの夢を見る』を見させていただきました。

ことの発端は、今月のラスト映画をエヴァのシン劇場版で締めくくろうと予定していたが、まさかのコロナ延期により、それならば何か代わりになる映画を探さねばと思い、普段ならNetflixをザッピングするのだが、
ここは空気を変えてアマプラをザッピングしていたところ、この作品のタイトルに惹かれたのが始まり、

『窮鼠はチーズの夢を見る』

初見でタイトルの意味がわからなかったが、なんとなくこの字面に覚えがあった。
それが昔読んでいたSF小説の

『アンドロイドは電気羊の夢を見るのか?』

今考えると、そこまで共通点もないし、作者が意図してオマージュを取り入れてるわけでもないので、完全に僕の勘違いから引いた一本ではあるが、知人が最近この作品を見たようで、
Twitterで今ヶ瀬が‼︎今ヶ瀬が‼︎
と言っていたので聞いてみると、

この作品はもともと『水城せとな』の漫画原作であることがわかる。
水城せとなと言えば、知った知識では『失恋ショコラティエ』なんぞはこんなおっさんでも松本潤のドラマを見ていたので知っている。また、嫁が漫画を持っていたので読んだこともあった。

ので、今作の原作漫画も持っているかなぁと思い聞いてみると、

ハイ、所持しておりました。

しかしながら、僕の目の触れないところに丁寧に封印しているとのことで、
聞けば結構な男同士の性描写が盛り込まれており、そう言ったジャンルにあまり精通また、理解してない、ましてや男の僕が見たら、『お前そうゆう趣味なん?』
と、嫌悪感を抱かれてしまうのでは?という思いから、
嫁は本棚の奥の方へ仕舞い、年に一回は引っ張り出して読み耽ると言った次第であります。
おそらくはこの作品の本来醸し出している空気が、また偏見が僕の嫁に漫画を封印させたのかもしれません。


そこで僕はこの作品を、

映画から見るか、漫画から読むか。
を考えた結果、漫画を読んでダメなら映画も見ない。
漫画を読んで面白かったら映画も見て、感想を書くという方法に出ました。

ということで、前置きがかなり長くなりましたが、まずは率直に、
ネタバレなしで見た感想をば、
述べさせて頂きます。


『この監督は、原作漫画のツボをことごとく押さえていない。
役者の演技が良かったので、最後まで見ていられただけ』

と言った感じでした。率直な感想が酷評になってしまって申し訳ないが、
この作品を漫画から読んだので、感想がどうしても原作寄りになってしまっています。
もし仮に、原作を読んでいなかった場合はまた感想も違ったと思いますが、そこはご了承ください。


そしてここからは、ガッツリネタバレの感想を述べたいと思いますので、まだ見ていない方はこの辺で戻って頂くとして、


まず初めに、映画は自転車を漕いでいる大伴の尻から始まります。
そこで、女子や、一部男子のハートを掴もうと思っているのでしょうか、『ウホッ良い尻』です。
当然この辺も映画オリジナルの設定です。大伴が自転車通勤をしているとは思いませんでしたが、黒スーツに真っ白なスニーカーが光ります。
その自転車を併走しながら尾行をする今ヶ瀬の車、車内に据え付けられた灰皿にはフタが閉まらないほどタバコが入っております。
喫煙者ならわかりますが、運転中に火の付いたタバコをあんな不安定なところへは置きません。
また、浮気の証拠を取り消して貰うために今ヶ瀬を買収しようと訪れた寿司屋、あんな目の前に大将がいる寿司屋で自身の浮気の証拠を揉み消してくれと話す人はいない。

ええ、今僕は、ものすごく細かな事を言ってます。それくらい良いだろって思う方、また、自分は気がつかなかった方もいるかと思います。

しかしですよ。夏生先輩が、今ヶ瀬が持っているジッポに気がつくシーン。もちろん漫画でもありましたよ。
映画では、何故かピンク色に猫のデザインが入ったジッポになってましたが、いくら元彼女からのプレゼントでもピンクのジッポなんか持つかよ‼︎とかは、置いておいて、今ヶ瀬は今も先輩からもらったジッポを大切にしているというシーンに改変されてますが、
これ違いますよね?
原作では、今ヶ瀬は先輩から貰ったジッポを大切にしているわけではなくて、夏生先輩に見せつけるためにわざと持ってきたのであって、昔の女からプレゼントされたジッポには大して思い入れはない、貰った理由は、渡される時に大伴先輩の『指に触れたかった』だけである。
つまり、今ヶ瀬はそんな小さな思い出を大事にしているのであって、ジッポがどうこうはどうでもいいんですよ。しかし映画ではそこは描かれず、ただピンクのジッポを大事にしている今ヶ瀬なんですよ。

このように、今作ではこういったチマチマ細かなノイズになるようなシーンが多いにも関わらず、肝心の今ヶ瀬が心底大伴を想っているシーンは薄く、ものすごく一途に一人の男を想っている描写がないため、結構あっさり手に入れてしまってるように感じます。
しかし逆に必要のない大伴がいかにクズ人間かを見せる方が多く、浮気相手との濡れ場なのがきっとそれに当たると思いますが、
この映画は目線をどっちに振りたいんだよと思ってしまいました。
もっと一途な今ヶ瀬にフォーカスすべきでしょと。

また漫画では一番と言っても良い、雨の中タクシーに乗り込むという名場面は、映画では描かれておらず、どのタイミングで大伴が今ヶ瀬を受け入れたのかがわかりづらく、また映画オリジナルの大伴によるハッテンクラブ?に行くシーンなどでは、大伴に絡んでくるゲイ達はいかにもガチムチのマッチョ達が多いのも違和感がありました。なんとなくですが、この監督自体がゲイの人をそういう目で見てるようにも思えて不快なシーンでした。大伴涙の理由は、想像ですが、自分はやはり今ヶ瀬達のようなゲイの人間とは別人種とわかり相容れない事に涙するのか。もしくは、ここへ来てみたが、他の男には興味がない、今ヶ瀬だったから俺は惹かれたのだ。ということがわかったから涙が出たのか。そのどちらかだとは思います。
また、二人で北京ダックを食べに行くシーン、男同士肩を組んで店まで行く途中、向かいから歩いてくる女性二人の目線が気になり、大伴が離れてしまうシーン。
あれも、大伴がただただ悪い奴になってしまうだけのような気がします。別にゲイでなくても男二人で肩組んで歩くことくらい別にありますし、それだけでゲイだわ‼︎と思う方がどうかと思います。つまり監督は詰まるところゲイを異物として作品を作ってしまってる気がしてくるんです見てると、

また、そんなに回数いるでしょうか?というほどの性描写の多さ。漫画のように我慢して我慢して葛藤して、悩んで、それでようやく達成されたようなカタルシスも2時間映画の中であんなに簡単にパンパンやってると希薄に感じてしまいます。

とまぁ、あげると本当にキリがないんです。ラストのエンディングも原作とは違います。その部分にも正直納得はいってないですが、今は少しあのエンディングの形もまぁアリなのかなとなんとか咀嚼して受け入れてきております。

ここまで僕の感想を読んだ方で、この作品のファンだと言う方は是非、漫画原作を読んでみてください。僕の言いたいことがわかると思います。
またこの原作の大ファンだという嫁がこの映画の感想をどう思うのかも少し楽しみです。
やはりこういった作品の監督は女性がやるべきだと思いましたし、
監督は実際にバックバージンをロストする気持ちで手を出して欲しかったように思います。

しかしながら成田凌扮する今ヶ瀬は本当に名演技です。目の泳ぎ方で自身が喜んでいるか、切羽詰まっているか、見てる側に理解させる力は凄いと思います。あの子は大切にしたい日本の宝です。
大倉忠義は、そうですね。初めて役者としての大倉君をみましたが、
演技がイライラしたのはそうゆう脚本なのかもしれないし、そう思われることが彼の仕事なのでしょうか。
残念なことに、かなりダメ男に描かれてしまってるのは仕方のないことだとは思いますが、本来はダメ人間なのに何故か愛してしまう人間として描かれなければならなかったように思います。
しかしながらジャニーズでああいった濡れ場ありきの体当たりな役を演じきれるのは凄いです。この
先も楽しみになってきます。

とまぁ、漫画原作の実写化がファンからしてみたらこんな感想になってしまうのはある種、宿命なのかとも思いますが、やはり映画と漫画には大きな壁を感じます。


ということで、全体を通してかなり酷評になってしまいましたが、
正直な感想として述べさせて頂きました。

良ければ是非見てみてください。

これはこれで、オススメです。
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