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流浪の月のKHのレビュー・感想・評価

流浪の月(2022年製作の映画)
4.2
2024年度の年間ノルマ70本中40作品目。
見させて頂きました。


過去にこちらの予告編をどこかで見たことがあって、この作品がどの様な内容なのかをざっくりと知っている状態ではありますが、

『四文字以内の邦画は当たりが多い』
『邦画はタイトルが短いほど良い』という自論により、かなりの期待値を持っている事は確かです。
また、監督はこれまた短いタイトルでお馴染みの『悪人』『怒り』などの李相日監督。


この度、Netflixでの視聴となります。

まずはネタバレなしの率直な感想を述べたいと思います。

『非常に考えさせられる題材と、余韻の残る作品でした。またそれらを支える役者陣の演技が本当に素晴らしく、これこそが日本の役者の真髄という気がします。
また、映像が美しい上に、ストーリーの流れが実に丁寧な印象を受けました。
上映時間は比較的に長めではありますが、
その長さを感じさせない展開や、何より本当に役者の演技が凄まじすぎてあっとゆーまに時間が経っていました。
しかしながら、やはり題材が重いテーマを扱っているので、終わってみたら心がズタボロになってしまったのはもちろんですが、
それでも一度は見るべき作品と言えます。』


また、ここからはネタバレを含む感想になりますのでまだ見てない方はご注意を、


まず、一個の結論として僕の答えを先に述べるとするならば、


・文は果たしてロリコンか否か?

という問題を先に解決させておこうと思いました。
僕個人の考えでは、文は決してロリコンではないと考えてます。

この作品では、少女と実際に肉体関係があったか?や、仮になかったとしても、
などの問題はいくつもあるとは思いますし、
そう言った描写がないだけで、実際のところはわからない。

また、更紗の口にケチャップが付いた際、それを拭き取ろうとした時のシーンですが、
唇を見つめる文のシーンから、
これはひょっとしたらロリコン説もあり得るのか?

とも考えましたし、そこからロリコンと結論付けてしまう人がいるのもわかります。

しかし、僕はそこに文の抱えているもう一つの病気を考えました。
実際になんという病気なのか、また、症状なのかはわかりませんが、
短いか、剥けないかのどちらかと仮定します。
また、文が更紗の前で服を脱いではいるものの、実物が映る訳でもないし、見たこともないので断定こそできませんが、
文が母から『大人になっても子供のままという事?』と聞かれているあたりからそれを推察したのですが、

これがコンプレックスとなっているために
彼は女性と肉体関係を持つことを物心つくあたりから早々に諦めていると仮定します。

また、逮捕されると困ると話した後に
『死んでも知られたくないことが明らかにされるから』と話しているのを考えるに、

彼の中の最大級の問題がこれなのではと、
考えます。

しかし、それと女性と恋愛しないのはイコールにはならないため、
彼は母以外で初めて触れた女性が更紗だっただけなのでは?とあのシーンから感じました。つまりはたまたまそれが少女だったというだけです。

また、多部未華子との別れのシーン。

二人の事件を知った際に吐き気がしたと告げた後、
『過去の事件を黙っていたのは、私のことを信用していなかったから?』と聞かれた部分で、

その最期にこれだけ聞かせてと、言われたセリフが
『私と肉体関係を持たなかったのは、あなたがロリコンだったから?』

と聞かれるシーンで、明らかに文は彼女を傷つける様にそうだと告げてしまいます。
このシーンで僕は、

多部未華子の
別れ際の最期に聞く質問が上の内容の人に

『そうではない』と言ったところで信用はされないだろうし、そもそも二人の間には、彼女にとっての都合のいい信頼関係しかなかった様に思いました。

彼女は自分に魅力がないとも、彼に身体的欠陥があるとも考えず、この人の性癖がロリコンだっからでは?と思ってしまったのである。また事実を確認せずにメディアが報じた報道だけを受け取って吐き気がしたと言った時点で、その信頼関係はなかったのではと思いました。


つまり、彼はこの時に言った言葉は嘘であり、本性では違う『ロリコン』
という皮を被り、むしろ身体的な問題を隠そうとしたのでは?と思いました。

つまり、彼が知られたくないのは自分がロリコンであるという事よりも、肉体的に欠陥があるという部分であり、その原因から母親に対するコンプレックスに繋がっていると思いました。

彼が更紗を家に連れて帰ったのはロリコンだったからではなく、
彼は、基本的にネグレクトに合っているであろう子供と接すると、本能的に助けたいと思うのだと思いました。

作中後半で更紗の同僚の安西から託された子供、梨花も同じです。
彼女は不倫をしている母から、邪魔になったから捨てられている様な状態であり
そんな子供の事を思うと、自身の母との思い出がフラッシュバックした結果、
例え世間からロリコンと罵られようとも、この子が助かるのであれば手を差し伸べようと思うのです。
その証拠ではないですが、警察が無理やり梨花を連れて行こうとした際に彼は必死に
『もう辞めてくれ』と抵抗しますが、

これは、自分を逮捕するのを辞めてくれと言った訳でも、梨花を連れて行こうとするのを辞めてくれと言ったのではなく、

これ以上、大人の都合で子供達を傷つけないでくれと言ったのではないかと思いました。


まぁ、だったら警察に頼めよとか、児相とかに行けやと思うのかもしれませんが、
では更紗の場合はどうだったのか?
仮に警察に子供が帰らずに公園にいると言っても、児相に相談したとしても、

結果的に自宅の中2の息子にされた事実が明るみになった場合、彼女の心は今よりひどく傷つく事になる。
そうなるよりは、世間的にはダメだとは言え、このままほっとくこともできないから
家に連れて帰って自由にさせたのだと思います。

無論世間的にはそれでもダメなものはダメではあります。
この作品は『ロリコン』をイコール悪としてますが、では、生まれ持った性癖は悪なのか?という表の面と、

彼は本当にそうなのか?という裏のテーマがあった様に思いました。

例えば生まれ持った性癖という訳ではないですがLGBTQ問題はどうですか?

ゲイとして生まれた男性が、男性を好きになってしまって近づいただけでは悪人とはならない世の中にはなってきました。

それで言われれば、ドイツのホロコーストはどうか?ユダヤ人として生まれただけで殺されるほどの罪があるのか?
とは言っても、自分で判断のできない子供に対してそれを向けるのは悪。
理屈としてはもちろんわかります。

でも僕はやっぱりこの作品はそんな表のテーマももちろん大事ではあるんですが、

裏のテーマが本筋の様な気がしてならないんです。
つまり、表のテーマというか定義が

生まれついての性癖は悪なのか?

だとするならば、裏のテーマは

何を持ってしてあなたは彼を断罪しているのか?自分や世間と意見が違う人は全て悪なのか。

な気がしております。

今この時代SNSなんかでは色々な出来事が炎上したりしております。当然、世間の声が大きくなるのはメカニズムとしてはわかります。

例えば大物芸能人の不倫をテーマにしましょう。
ファンであっても、そうでなくても非常に炎上します。

彼らの半分を冷やかしで燃やしてる人もいるでしょう。ロリコンと落書きされたビルを写真に撮っていた子供たちがそれに当たります。

ファンや、不倫された奥さんと同じ世代境遇の女性や、大金を稼いでる芸能人を妬んでいる方も燃やします。
また、週刊誌やメディアは真相は調べずにあった事実の文言を並べ替えてそれを煽ります。

彼らは本質として一体何に火を放ってるのでしょうか?

また、不倫された奥さんが許していても、攻撃をしている人たちはどういうロジックでそれをやっているのでしょうか?

時々わからなくなるというか歯止めが効かなくなった不満の塊が生物の様に肥大化して暴走している様な状態をよく見ますが、

そこに何かの意思は感じられないというか、
どうせ時間が経てば忘れられて風化してしまう様な程度の自分達の人生の小さな非日常なのに、
その程度で人の人生を終わらせてしまっていいのかと思います。
本当にダメな人はもちろんいるし、それらを一件一件調べて精査してっていうのにマンパワーを割いてる暇がないっている理屈もわかりますが、

それでも同じ人間の一個しかない人生の話なのだと思えば、ただのブームで扱っても良いものかとは思いました。

結果として二人は、
『ロリコンの犯罪者』そして『そんなロリコンに洗脳された可哀想な女』として

流浪の旅をずっと続けるのだというエンディングでした。

我々は一人一人が真剣にこれらを考えながら生きていかなければならないし、
意識して生きなければならないと思いました。

そして、
個人的に今作のMVPはなんと言っても横浜流星だったなぁと思います。
とんでもない役を見事にやり尽くしたというか。子役の子達も良かったですが、
なんと言ってもDV野郎として見事に憎まれ役をやったなとビックリしました。

また、そんな亮の過去があまり語られなかったですが、彼の母は彼ら家族を置いて蒸発しており、まぁ離婚して出ていったのかもしれませんが、
その事を彼は『捨てられた』と感じています。挨拶に行った際に彼の父親がぶっきらぼうに
『どうせお前は農家を継ぐんだから』と語られているあたり、
彼の家庭の主導権は父親に握られており、父親が黒といえば白いものも黒だとなっていた様な雰囲気が伺えます。
おそらくはその事が原因で母とは決別したのかなと思いますが、

それが引き金となり、亮は精神的に可哀想な子と付き合う、あえてこういう言い方をしますが『性癖』の様なものがあり、
精神的に自立して発言力や行動力のある女性を嫌っている傾向があると感じます。

カフェに一人で来た更紗に高圧的に対応しているのでそう感じたのですが、
自立している女性はいつかいなくなる可能性を孕んでいると潜在的に思っており、
それをコントロールする最後の手段として暴力を用いる人になってしまったのは間違いなく父親の影響なのだと思いました。
これらは僕が映像を見てそう思ったのですが、それを演技だけで見せてくれる、背景をちゃんと感じさせられるいい芝居だなと思いました。

柄本明はよくわからなかったです。いるシーンだったのか。あのワイングラスは結局その後に登場する訳でもなく、落書きされた事を咎める様なシーンもないのに、
あんなちょい役に塚本明は大物過ぎないかな?と感じました。

そしてなんと言っても子役。更紗ちゃんはどこかで見た子だけどどこだったかなーと考えるに、あれだ、テセウスの子だ‼︎と納得しました。あの時からすごい存在感だったのを今でも覚えております。きっと将来日本に多くの賞をもたらしてくれることは言うまでもなく素晴らしい役者でした。

僕も娘のいる身で色々と考えさせられる部分はありますが、物事の表面だけ見ていてはわからない部分ていうのがあるのだと知れるいい作品だったと思います。

舞台の雰囲気も素晴らしいし、
雨の描写、水の描写が印象的でした。
あー、いろいろまだまだ言いたいのに、まとまらない。。


とりあえずそんな感じのことを思ったということです。

今回はこの辺にします。
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