たわだ

赤い闇 スターリンの冷たい大地でのたわだのネタバレレビュー・内容・結末

2.3

このレビューはネタバレを含みます

スターリン治世下のウクライナに潜入しホロドモールの事実を国際社会に告発しようと試みた実在の記者を描いた映画です。
歴史映画でありながら、「ジャーナリズムが真実に対してどう振舞うべきか」という主題を中心に話は展開します。その答えは当然、告発すべきです。それが権力を監視する報道の役割です。そしてこの映画の深みのなさはもしかするとその当然な正論が妥当しないような複雑な人間の内面の葛藤を描ききれなかったという点にあるのかもしれません。
この映画中ではホロドモールの凄惨さがいかにも表面的に扱われています。果物の皮に群がる子供、兄弟の肉を食わざるを得ないほど飢えた子供たちとその歌。
一方でクレムリンで腐敗した様子の外国人記者。
わかりやすい悪がこれでもかというほどに詰め込まれ、それはステレオタイプ化されたソビエトの印象そのものです。そしてそのようなホロドモールを描く態度が、この映画自体を「ジェノサイド映画」として自らラベリングするような態度が、かえって現実の尊厳を損ねているのではないかとすら思えるのです。
凄惨な事実とは別に、凄惨な現実を生み出した人間がいます。そのようなシステム、あるいは権力者の内部ではどのようなことが起こっていたのかということを描くことは人間の本質に迫る映画的挑戦であると言えるかもしれません。しかしこの映画の主題はあくまでもジャーナリズムのあり方であり、共産主義の本質を描くことでも、人間の愚かさや恐ろしさを描くことでもありません。したがって主人公の自由主義的正義感は揺らぐことなくあくまでもイギリス人の目から見た一面的なソ連への批判的態度として現れます。しかしこれは現実を下敷きにした物語であるという点を踏まえれば、脚本にそこまでの自律性を求めるのは野暮な話とも言えるかもしれません。そしてこの映画の「大義」は「事実を告発しようとした記者の存在を世の中に伝えること」で半ば達成されているのでしょう。その方法の巧拙や監督の歴史認識はむしろ問題ではなく、この題材を映画にした時点で大義は達成されているということです。しかしそのことを念頭に置いた上で再び映画であることの意義をあえて問うのであれば、ホロドモールの描写が単なるスペクタクルなものとして消費されることへの慎重な態度が必要とされたのではないでしょうか。そしてこの種の楽観は翻って、結果としてソ連を崩壊させた米英の戦後政策への楽観的な肯定へとつながっているように感じるのはうがった考えでしょうか。
最後に、おそらくこの映画を撮ることの意義はもうひとつ、内在化した権力によって真実が真実として語られえなくなった現代を照射することにあるのでしょう。つまり具体的な時代の具体的なトピックを扱いながら、その構造は現代にも存在する普遍的なものだということです。そのためには普遍的な悪、わかりやすい悪を描く必要があったのかもしれません。
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