けー

風をつかまえた少年のけーのネタバレレビュー・内容・結末

風をつかまえた少年(2019年製作の映画)
4.5

このレビューはネタバレを含みます

2001年、アフリカ、マラウイの村が洪水と干ばつで飢饉にみまわれる中、ウィリアムは学校の図書館で見つけた本をヒントに風で電気をおこしてポンプを動かし、水を吸い上げて干上がった畑に水を送ることはできないかと奮闘する。

マラウイの歴史をざっくりwikiってみるとー



 15世紀、バントゥ系民族のマラビ族がマラビ帝国を建国。(その時、先住民トゥワ族を殲滅)

 16世紀頃にマラビ帝国がポルトガル人と交易を開始したという記録 (象牙、鉄、奴隷が主に交易。売却された奴隷はポルトガルの植民地だったモザンピーク、ブラジルに送られる)



 マラビ帝国の衰退原因ー

 その1:ンゴニ族。ズール人の王位を巡ってシャカ・ズールとズヴィデが争い、ズヴィデが破れる。ズビィデの配下だったンゴニ族のズワンゲンダバはシャカ・ズールと戦いを続けたが、最終的に北方へと逃れることに。マラビ帝国を襲撃して岩山地帯を占領定住をきめる。その後もマラビ帝国を襲撃を繰り返し、食料、奴隷、子供を略奪した。

その2:ヤオ族。マクア族の戦闘と飢饉から逃れるためにモザンピーク北部からマラビ帝国に移住してきた民族 (アクア族はヤオ族がザンジバルでアラブ商人と奴隷交易を行っていたため攻撃)。ヤオ族はマラビ帝国に落ち着くとマラビ族とンゴニ族を襲撃し、アラブ人やスラブ人に売却し富を得、戦闘にはじめて銃を持ち込んだ部族となった。

 

 1859年、イギリスの探検家で宣教師のディヴィッド。リヴィングストンがマラウイ湖周辺を探検。奴隷貿易に反対していたため、多くの奴隷商人から命をねらわれたそうな。

 1876年、リヴィングストン死後スコットランド長老派教会が教会を建て布教開始。奴隷貿易に終止符をうつことが目的だった。

 1893年、イギリス中央アフリカ保護領を設立。1907年まで続くが、この期間に施行された法律や行政手続きによって白人優遇、先住民が所有する土地の奪取や権限の削減が行われたとのこと。

 1907年, イギリス中央アフリカ保護領からニヤサンドと改名。

 1915年、アメリカの神学校で学んだジョン・チレンブゥエ牧師がヨーロッパの戦争にアフリカ人が巻き込まれるのはおかしいと部族の壁を越えて呼びかけ、独立運動を引き起こす。



 なんとまぁ....ほんとにややこしい。

 こちらを立てればあちらが立たず、あちらを立てればこちらが立たず...というのとも違うのかもしれないけれども...



 植民地、侵略、占領、難しいなぁ。



 もう一声がんばってみる。

1963年7月にイギリス連邦内の英連邦王国として独立。

 1964年に総選挙が行われるが、マラウイ会議党以外の立候補者がいなかったため、この時より一党制体制に。

 1966年、マラウイ共和国となり、それまで首相だったバンダが大統領となり、私腹をこやしまくる。

 1993年、一党制か多党制かを問うマラウイ初の国民投票が行われ、多党制導入が決定。  

 1994年、バンダは大統領を引退。第一民主戦線のリーダー、バキリ・ムルジが大統領に。  1999年、2回目の民主的総選挙が行われるが内戦瀬戸際の争いが生じることに。ムルジが大統領二期目をつとめることになる。



 2004年 総選挙でビンダ・ワ・ムタリカが大統領に。

 2005年 ムタリカは党を離脱し、民主進歩党を結成。

 2009年 総選挙でムタリカが圧勝。安定政権に。

 2019年 総選挙でムタリカが当選するも、不正があったと裁判所が判断。

 2020年 再選挙が行われ、マラウイ会議党のラツルス・チャクウェラが大統領に。(再選挙にむけ、マラウイの住民が1年近く抗議デモを継続)


うーん。植民地政策の傷から立ち直るのは大変で。で、その前からも問題はあったはずで、そういうのがないまぜになってややこしいことになって。

映画の中で「民主主義は新鮮な野菜のようなもので、すぐに痛んでくる」というセリフがあって、なんというかうまいこというなぁと感心しつつ物悲しくなりつつ。

洪水と日照りコンボで穀物の収穫が70日分しか確保できなくて、それすらも盗まれてしまう。
政府の配給も全ての人の食料不足をカバーできるほどの量はなく、どうにか買うことができても、帰りもまた命がけ。

命がかかっているのだから、そこはもう仁義もモラルもあったものじゃない壮絶バトルになるであろうことも理解できるし、そんな状態の中で、大統領夫妻の暮らしぶりが何不自由なさそうだと、どういうこっちゃ???となるのも理解できる。  

そりゃもうお腹空いていたら心に余裕なんか持てない。

ウィリアムが井戸から水をくみ上げるためのポンプを動かす電気を確保しようと、廃材から部品を拾い集めて、組み立てて工夫して。  

あまりにも乾ききっていて、皆がやせ細っていってしまって。ウィリアムの愛犬も食べ物がもらえず結局は餓死してしまうのだけれど、あまりにもいいワンコだったのでその死は辛かった。

ほんとうにちょっとしたことで大勢の人の命が助かるのだけれど、そのことを”ちょっとしたこと”と思えるのは、国が機能して経済活動ができているからなんだなと。
それを当たり前のように享受しているわけだから私もWhite Privilegeを満喫中でその安穏さが揺らぐと言われれば不安になったり怖くなったりして、どうにかそこは変えないでなんとかならないものだろうかとかそういう思考になっちゃうだろうなとは思うけれども、でも、うーん「きっとなんとかなるべさ」ってそういう変化を恐れないようにしないといけないってことだよな。うん。

ウィリアムがちょっとした部品を探してウロウロするたびに、その辺にNPO法人とかユニセフとかいませんかー??とか思ってしまって。

なんというか、ウィリアムは諦めずによくがんばったと心から喝采を送りたいし、お父さんだって暴力をふるったり家族を捨てたりすることなく全力でがんばったんだから自分を責めないで−と泣けてきたり。  

族長が大統領に村の惨状を直訴した途端にボコボコに殴られて。
族長は村人のために声をあげてくれて、どうして大統領はそういう風に動いてくれないんだろう...とかなんだかもの悲しくなってしまったりで。

乾季と雨季はアフリカにはつきものの自然サイクルだから、その自然サイクルに適応した暮らし方というのが元々はあったのかもしれないんだけれど。

うーん、なんというか、難しいんだな......とそこで思考が止まってしまった。

落とし所も何も思いつかない。
すごく乾ききっていく映画なのでこちらもなんだか喉が渇いてくるんだけれどお茶を飲む勇気がでない感じの映画でした。なんというか、でもあれだけ寄せ集めの部品でもちゃんと作れて機能するんだという感動もあって、これを子供の時に見ていたら物理とか化学がんばって勉強しようという気になっただろうなぁと。
最近、電気工事士の資格があればこんなの自分でやれそうなのにーって案件が多かったので、なんというか余計に。
あ、あと映画の中でウィリアムが友達たちとラジオを聴いていると9.11の報道が流れるのだけれど、全然関心ない感じでチャンネルを変えるというのがとても印象的でございました。
けー

けー