案外というか、大抵というか、人というのは見たいように見るし、信じたいように信じるし、勝手に期待して、勝手に失望するルサンチマンの塊だ(自分自身も含めて)。
毀誉褒貶の激しいテキサス・レンジャー。いくら当人が気に病んでたとしても、尾びれ背びれを付けて「美談」や「武勇伝」に仕立て上げるものだし、大恐慌と禁酒法による鬱屈を溜め込んだ当事の米国民には、その原因を作った銀行と政治家と役人を嘲笑うように無軌道な犯罪と殺人を繰り返すボニー&クライドが魅力的に映ったらしい(やっぱり昔から米国中南部はおっかねー)。
隠居生活から引き摺り出されたこの映画の主人公2人は、そんな民衆やルサンチマンの風潮に対して「ダメなものはダメだろ」という自らの信念と毅然とした態度を貫く。
周囲の過剰な英雄視に対して、過去の人というレッテルに対して、下劣な好奇心に対して、日和見主義の上司(政治屋)に対して、そして自らの老いに対して、粘り強く追跡し積み上げた経験値と現場感で当時売り出し中のFBIの科学捜査を凌駕する。
ある意味、周囲の全てが障害であり敵である状況下の彼らを支えていたのは「ダメなものはダメだろ」という強い思い。信用できるのは長年苦楽を共にしてきたバディのみ。
そんなことを考えさせる伏線やディテールが随所に散りばめられた人間ドラマ。