尾崎きみどり

ミッドサマーの尾崎きみどりのレビュー・感想・評価

ミッドサマー(2019年製作の映画)
3.5
ボーはおそれているを観るにあたってのアリ・アスター監督作品復習祭その2。まあ肝心のボーはおそれているの方はもう観てしまったのだが。
以前劇場で観た(2020年)けれど月日の重みは恐ろしく、観た印象はあるが殆ど忘れていた。コロナとかもあったし。あれから4年と考えると死にたくなりますね。ちなみに当時の感想文は機種変と共に消え去りました。
今改めて観るとやはり傑作。観た当時よりも監督のインタビュー等で理解が深まっているのでより楽しめた。
序盤の鬱屈した雰囲気と、スウェーデンに着いた後の不穏な開放感とのギャップは何度観ても癖になる。中盤からラストに至るまでの疾走感が割と好き。掘り起こされる主人公ダニーのトラウマや、外界と断絶した価値観のホルガ村の怖さよ。外見や言葉が全く違うより少し似ていて実は違うってのが一番怖いと思う。
どこを切り取っても美しい構図の画面と、ストーリーの恐ろしさが危ういバランスで共存しているのがとても良い。特に小屋が炎上する場面は背徳的な美しさがあった。赤く燃える炎と、全てを飲み込むような空の青さが混じり合って一層の残酷さを感じさせる。
巷で話題となった気持ち悪い描写は公開当時はドン引きしたし再度観てもヤバい。変な壁画や崖ダイブや介錯スイカ割り()は序の口で、食べ物の中に入れるおまじない()や芸術的な死体、集団監視公開セックス等々ラストに向けてイカれっぷりが加速していく。目を花瓶代わりにすな。村人の集合シーンは散歩する惑星を参考にしたとのこと。なるほど確かに。
知れば知るほど嫌な村だが、主人公ダニーにとっては初めて自分を受け入れてくれた所。村の儀式を通じて達成感を得られ、孤独だったのに一緒に泣いてくれる仲間もできた。最終的には村の一員となり女王として儀式を完成させる。
情緒不安定だった彼女が徐々に安定していく様子を幸せだと思うかカルトに嵌っているようで怖いと思うかは人それぞれだろうが、いずれにせよ最後の表情は心からの物なのだろう。あの小屋が崩れ落ちる瞬間、ダニーは生まれ変わったのだと感じた。
一応ダニーにとってはハッピーエンドである。だがよく考えたらまだ儀式は終わってなかった筈。物語が終わった後にどうなるかを考えるともう一回ぞっとした。

<ここからは雑感と適当な考察なので興味ない方は読まなくても良いです。長いし。>


とにかくアリ・アスター監督の作品は難解と評されるが、この作品は断然分かりやすい。ストーリーラインはホラーに於ける因習村もので、物語構造も分かりやすい。
ある種の勧善懲悪(主人公の仲間の振る舞いへの報い)の達成や残酷さを覆い隠す幻想的な美しさ、狂気がありながらも秩序だったストーリー等と観客の引き込み方も上手い。監督がインタビューで言ったおとぎ話と思ってという言葉に納得がいく。ある意味理解しやすく大衆受けする要素があるのがヒットした要因かもしれない。
父性の否定と暴力衝動への傾倒の恐れ、過剰な母性からの支配と逃れ得ない共同体への恐怖。このモチーフは過去の作品、本作、そして当時からしたら未知の作品「ボーはおそれている」(原型アリ)まで一貫している。だが今回は上手い具合にアクセントとして隠れているのが良かった。
監督自身の失恋をきっかけに作ったそうなので、主人公ダニーはある意味氏の分身と言える。公開当時、氏はこの映画をホラーを作っている訳ではないと公言している。むしろセラピーであると。
いま改めて観返すと確かにこの映画は主人公≈監督にとっては癒しになっているかもしれない。恐怖というストレスを極限に与え、カタストロフで解放しているのは一種のショック療法と言ってもいい。人によっては嫌悪感しかないだろうが、自分のように観終わってすっきりする者もいるのではないかと思う。
まあ個人的には入力は正しいが出力が歪んでる系の監督だと思っているので、コメディーを作ったつもりがホラーになっててもしょうがねえなって気持ちにはなってる。
ディレクターズカット版(後日感想を述べる)と比べると完成度は断然こっち。

ところでかろうじて残ってた過去の感想メモを読むと、
·主人公にとってはハッピーエンド
·ダークなおとぎ話
·監督がホラーを作っている訳ではないという主張に同意する
·雰囲気が邪悪な無印良品
と書いてあった。(最後のは何やねん)
尾崎きみどり

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