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ラストブラックマン・イン・サンフランシスコのKSatのレビュー・感想・評価

4.0
サントラとして使わてるスコット・マッケンジーの「花のサンフランシスコ」のカバーがあまりにも良すぎて、ずっと観たかった一作。

かつて幼少期を過ごした歴史ある家が自分の先祖が建てたものだと信じ、自分の手に取り戻すためにそこに不法占拠する黒人青年の物語。

正直、「いや、アカンやろ」という噺ではある。だからだろうか、アメリカ本国での高い評価の割に日本ではあまり人気がないのも、まあ頷ける。

だが、この映画にはスパイク・リーのような押し付けがましさがないため、「帰りたい場所」「守りたい場所」についての普遍的な感覚が伝わってきた。果たして、元々は先祖の家だったと主張して勝手に住み着く主人公たちを、ネイティブ・アメリカンを殺しまくってこの国に勝手に住み着いた白人たちが追い出す権利など、あるのだろうか。

というか、撮影が良すぎて、、、一歩間違えたらインスタっぽいんだけど、宗教画みたいな画も多くて眼福。そりゃ、こんな家先祖が持ってたら、不法占拠もしたくなるわなっていうほど、美術もスゴすぎ。

あと、選曲も。マイケル・ナイマンやらジェファーソン・エアプレインやらが、次々に流れては消えてゆくセンス。

昔から移民やゲイに寛容な多様性の街とされてきたサンフランシスコが、ジェントリフィケーション(元々は庶民的な貧民街だったところが再開発された結果、地価が上がってしまうこと)が進んだ結果、どんどん金持ち白人だけが幸せになれる格差社会へと変貌しているらしいことが、この映画からは伺える。

それに加え、深刻な海洋汚染や治安の悪化などの悲惨な側面も垣間見えるのだが、個人的に一番興味深かったのは、同世代の黒人間のカルチャーギャップについて描かれている点。

表現者としての道を模索し、真面目かつ大人しく生きる主人公たちのような黒人たちと、息をするようにNワードを吐き続けてギャングのように生きる黒人たちの間には、同じ地域に住む同じ世代であってもまるっきり生きてる世界が違っていて、埋められない溝があるのだ。

しかし、それでもお互いに完全には無視できない存在でもある、というのが、何とも言えない。まあ、地元の不良のことを思い出すとこの感覚って普遍的なものなのかもしれないし、これこそがこの映画が訴えたい「家」や「土地」、「街」への愛なのかもしれない。

ソーラ・バーチは、ちょっとだけオバサンになっていたけど、基本的に変わっていなかった。思えば、待てども暮らせでも来ないバス、それを待ち続ける挙動不審な老人、街への愛憎入り乱れた感情を持つ主人公の成長など、「ゴーストワールド」と共通する表現があった気もするが、気のせいだろうか。

あと、ダニー・グローヴァーも良かった。でも、これまた「僕らのミライへ逆回転」での彼は、自分が経営するレンタルビデオ屋がファッツ・ウォーラーの生家だと信じていて、これも本作の主人公と似ているかもしれない。意識してるのだろうか。
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