まっつん

ハロウィン KILLSのまっつんのレビュー・感想・評価

ハロウィン KILLS(2021年製作の映画)
3.5
「あぁ、チクショウ、毎日がハロウィンだったらいいのになぁ」

そんなふうに思って日々生きている私のような人間にとっては、ハロウィン当日の鑑賞は必須!!であります、2018年から始まった新生ハロウィンシリーズ2作目である本作。

思えば43年ですよ。私が今年26歳ですから、その17年ほど前から道行く老若男女をぶち殺しては回ってきたマイケル・マイヤーズがスクリーンに帰ってくると言われちゃ金も無いのに劇場に足を運ぶわけです。世代的には僕はハロウィンシリーズってファンの間では賛否両論なロブ・ゾンビ版から入っていて。カーペンター版はその後に観たんですが、えらくクールな映画だなと思った記憶があります。ロブ・ゾンビ版がマイケルという人物を2作にわたって掘り下げていたのとは対照的にひたすら何考えてるか分からない上に、大変ソリッドでマイケルをキャラクターとして消費していない映画なので、今観てもちょっと怖いわけです。まぁ、マイケルというキャラクターについては後述します。

そして新生ハロウィンシリーズ第2作ですよ。まぁ、とにかくですね、景気が良い!ちょっとビックリするぐらいに人が死にます!ハッキリ言って前作は「ハロウィン・ベストヒット」みたいなとこがあったわけですよ。ロブ・ゾンビのハードさと比べても牧歌的な雰囲気があったし、ファンサービスも多かった。故に、あまり記憶に残らない部分もあったりして。ぶっちゃけ「面白いけどそこまで…」みたいなテンションだったわけ。今作はそんな「ハロウィン・ベストヒット」であった前作よりもベストヒット!一作目の続き!と銘打たれた前作よりも一作目との繋がりが強いのです。要は、同窓会みたいなとこがあるわけですよ。一作目で出てきたガキンチョたちがいい歳のおっさんおばさんになって再登場すると。観てるこっちとしても「あぁ!あの人か!」と。あの惨劇を生き延びてこの歳まで頑張ってきていたのだなぁ….なんて思ってる連中が正しく片っ端からぶち殺されていくわけです!さらにはマイケルの大立ち回りが凄い。前作のラスト。ローリーの家で焼け死んだかのように思われたマイケルが復活するわけです。燃え上がる家から姿を現す悪の化身、マイケル・マイヤーズ。このシーンだけでもう鑑賞料金分の元は取れたようなもんです。そこから現場に駆けつけていた消防団員たち11名を殺すは殺す!またしても復活を遂げたマイケルの大暴れっ振りたるや、まさしく壮観の一言ですよ。景気がいいなぁオイ!と。

そして、ローリーとの決闘か!と思わせといて、そうはならないというのが本作の肝で。マイケルの再来を聞きつけたハドンフィールドの住人たちvsマイケルという構図になっていくわけです。警察どもはひとつも役に立たねぇ!だったら俺たちの手でマイケルを殺すんだ!と78年の惨殺事件の生存者たちが団結し立ち上がる。というとこがですね….僕は若干本作、舵取りを間違えたんじゃないか?と思っておりまして。というのも中盤以降、物語の核が「マイケルの存在を恐れる住民たちの集団心理」みたいなとこに移っていくわけですよ。要はハドンフィールドの人々、ひいては我々にとってマイケルとはどんな存在なのか?という話になっていくわけ。

ここで序盤にしかけてやめた「マイケルというキャラクター」の話になるんですが、マイケルって「どこに生きてるか分からない存在」なんですよね。「6歳のころに姉を殺し、精神病院に収監された」というバックグラウンドがある「人間」であるにも関わらず、どんだけ致命傷を負っても死なずに復活する。そして姿を確認したと思ったら次の瞬間にはもういない。要は、人間なのか人間ならざる者なのかよく分からない。さらには一作目に関して言えば、ローリーという純朴なティーンエイジャーの内面にある願望の具現化とも取れる。もっと言えば、人々の無意識下に宿る「恐怖」そのものの象徴としても読み取れるわけです。ありとあらゆる境界線上にいながらも、本質的に何処に属しているのか分からないという、重層的なレイヤーの中にあって果てしなく空虚な存在がマイケル・マイヤーズという男なのです。で、カーペンターの一作目は観てる間は気付かないんだけれども、後々考えるとそのどれとも取れるというような描き方をしたのが上手いと思うんですよね。

本作では、中盤以降「集団の無意識下に共有される恐怖の象徴」としてマイケルを前面に押し出していくわけです。故に、話が進むに連れてマイケルという存在の抽象度がグッと上がってくる(終盤のあるシーンがアートハウス映画的な撮られ方をしているのもそういった理由があると思います)。マイケルという存在は具体化と抽象化の狭間にいるから恐ろしく魅力的だったにも関わらず、それを抽象化に振り切ってしまったことによって個人的には本作は、マイケルの存在を悪い意味で空虚なものにしてしまったという風に思います。ありとあらゆる空虚さの集合体であるマイケルを特定の抽象的存在に押し込んでしまった。もちろん「集団内の無意識下の恐怖の象徴」という存在それ自体が抽象的存在であるということは言えるかもしれませんが、やはりマイケルという存在が持つ重層的な在り方は矮小化されてしまったように思えます。加えて、この中盤以降が説教臭くてね。要は、上記したような内容の話を全部言葉で語っちゃうわけですよ。それは普通に映画の見せ方として上手くないだろうと。「マイケルとは…」みたいな話を延々とするわけ。謎掛けか!と。マイケル謎掛けやんか!って思ったですよ。故に映画のテンポとしてもガクッと悪くなるので、正直終盤はダルいですね。

そして、察しの良い方は既に勘付いているかもしれませんが、本作は新生ハロウィンシリーズ3部作の2作目なわけです。当然、マイケルはまたしても死んだと思ったら復活します。こんなもん今までのシリーズずっとそうなんだからネタバレでも何でもありません。頭に血が昇ってイキリ立った田舎のジジババやガンキチョがいくら束になってかかろうが、所詮はド素人集団。そんなもんは敵ではありません。クライマックスでは何故か不思議と「いいぞマイケル!もっとやれ!」と応援したくなるような大殺戮が待っています!そして、3作目でついに決着がつくのだろうか?!俺はちょっとこの先の展開は思いつかないけど、期待してるぞ!