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スターゲイトのnoteのネタバレレビュー・内容・結末

スターゲイト(1994年製作の映画)
3.5

このレビューはネタバレを含みます

1928年、エジプトの遺跡から謎の文字が描かれた巨大な輪が発見された。輪はアメリカ空軍施設に保管され、長い年月を掛けて研究が行われていた。研究チームのリーダーであるキャサリン博士は、突飛な学説を提唱し、異端扱いされていた考古学者ダニエル・ジャクソンの才能を見出し、彼によってその謎は遂に解かれる…。

謎の輪はどこか別の星にあるもう一つの輪と空間を超えて繋ぐ移動装置だった。
この「どこでもドア」のような汎用性の高い設定がSFとして魅力的。
公開時に劇場で見て以来の再鑑賞。
古代と現在、地球と異星を繋ぐ設定にはワクワクする夢がある。
今見ても面白いSFの佳作である。

アメリカ空軍はその輪を「スターゲイト」と名付け、ゲイトの先を探索するための秘密部隊を編成。
部隊の責任者ジャック・オニール大佐と共に、古代言の語読解能力を買われたジャクソンもゲートの向こうへ旅立つ。
作動したゲイトはまるで水面。
その先に何が待っているのか?と期待が高まる序盤がとても面白い。

瞬時にどこかの遺跡の中に到着した彼らは、古代エジプトと同じような生活をする人々と出会う。
エジプトで発見された遺跡のゲイトを潜ったら、どれだけ地球より文明の進んだ異世界が登場するのか?と思いきや、そこはエジプトと似たような砂漠の世界。
いきなりの肩透かしである。
しかし、空に浮かぶ天体からして明らかにそこは別の惑星。

調査を始めた一行は、やがて原始的な生活を営む人々と出会う。
遺跡をジャクソンが解読し、彼らはラーと呼ばれる古代エジプトの太陽神を名乗る宇宙人に支配され、はるか昔に地球から連れ去られた人々の末裔である事が判明する。

なるほど、地球のエジプト文明は宇宙人がもたらしたという解釈。
ピラミッドは宇宙船の発着所だったという発想は面白い。

次第に砂漠の民と打ち解けたオニール大佐一行は、ラーの支配からの解放を求める彼らとともにラーへの抵抗運動を開始することとなる。

主人公は考古学者のジャクソンと米空軍のオニール大佐。
彼らの負け犬キャラクターが描かれる前半パートは庶民としてはとても共感できる。

ジャクソンは新進気鋭の考古学者だが、学説が尖りすぎて研究資金は打ち切られ、家賃を払う金も無い。
新たなスポンサーを求めて行った講演会も不評。
そこに米空軍から怪しい作戦への参加依頼が舞い込み、生活費のために仕方なく引き受けることに。

オニール大佐は、拳銃の暴発事故で一人息子を亡くして失意の底にいた。
そこに空軍が現れ、スターゲイト作戦の責任者になることを要請してくる。
命がけの任務になることから、捨て駒の人選としてオニールに辿り着いたのだろうが、自殺願望を抱いていたオニールにとっても渡りに船で、これを引き受けることにする。

この手の映画の場合、夢や浪漫に憑りつかれた者を主人公にすることが多いのだが、二人揃って「仕方なく」仕事を引き受けるのが面白い。
壮大なSFでありながら、自分の居場所を求めただけという庶民的な感覚に共感が持てるのだ。
しかも知能労働と肉体労働のキャラクター分けされたコンビである。

前任者が長年掛けて解読できなかった記号をわずか2週間で解読してみせたジャクソンは研究者としての腕前を証明。
本来ならジャクソンはここでお役御免。
軍のプロジェクトに貢献したことで、今後はスポンサーに困ることもないだろう。
しかし、軍からゲイトの向こう側に行き、(軍事利用のため)往復できるように操作するよう強要され、探索隊に入れられる。

オニールは、もしもゲイトの先の世界が人類にとって危険なものであれば、向こう側でゲイトを爆破して、人類を異世界の脅威から守るという極秘の自殺任務を指示されている。

やがて、二人は支配者からの革命を求める現地の民との交流の中で、彼らを守ることに新たな生きがいを見出す。
二人にとっての「自己有用感」が満たされるのである。

弱き人々が力をあわせて立ち上がり、横暴な権力者に怒りの鉄槌を食らわせる。
SFのはずが後の「インデペンデンス・デイ」や「パトリオット」でも見られるローランド・エメリッヒ監督得意の革命物語へと展開。

ジャクソンは若い現地の女性と恋に落ち、オニールは好奇心旺盛で純粋な少年に死んだ息子と重ねる。
砂漠の民との交流のシーンはそれほど多くなく、説得力不足かもしれないが、「大切な人を守りたい」という心意気は充分に伝わる。

オニールは、砂漠の民衆が支配者を倒した後、最後の最後に笑顔を見せる。
国民を守るという軍人の本文を取り戻したオニールは地球に戻るが、ジャクソンは地球に戻らず、惚れた女性と惑星に留まる。
それぞれの生きる場所を見つけたハッピーエンドだ。
負け犬だった主人公二人が革命の立役者となるとは痛快だ。

しかし、その革命が今ひとつ盛り上がりにかけるのが難点。
それは敵が間抜けなせいである。
本作で最も残念なのは、後半に姿を現す太陽神ラーである。
演じるジェイ・デヴィッドソンは中性的でミステリアスなカリスマ性を放つ。
自動で開閉するマスクのCGの動き、デザインや衣装も魅力的だ。
正体は宇宙人で、死に瀕していた彼がメンテナンスが容易だという人間の体に寄生して生きているという設定も許せる。

問題はラーの統治能力と敵の弱さである。
舞台となる惑星でラーは、スターゲイトを使って地球人を移動させ、労働力としてこき使ってきた訳だが、何のために労働を強いているのか?良く分からない。
「砂の惑星」のように、何か貴重な資源が採掘できるのか?全くもって不明だ。

高度な文明を持ちながら、その統治は原始的な暴力による独裁。
ラーはアヌビス神に似た兵士で民衆を暴力で抑え込んでいるが、軍隊ではなく、ほんの数人しかおらず、人手不足にも程がある。
民衆の力を完全に舐め切っているとしか思えない。

数で勝る民衆が本気を出すと、いとも簡単に兵士は倒されてしまうのだ。
ピラミッド型宇宙船は見かけ倒しで強力な武器がある訳でもなく、惑星を捨てて逃げようとしたところをオニールたちが宇宙船に爆弾を転送して木っ端微塵になってしまう。
こんな統治を数千年に渡って行なってきたとは、いささか間抜けである。

優れた統治とは、やはり法の整備と国益の透明性、そして社会保障か?
大人になった現在の目で見ると、やはり世界観は物足りないが、SFの設定と主人公のキャラクターが面白い佳作である。
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