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僕たちは希望という名の列車に乗ったのnoteのネタバレレビュー・内容・結末

3.5

このレビューはネタバレを含みます

1956年、東ドイツの高校に通うテオとクルトは、西ベルリンの映画館でハンガリーの民衆蜂起を伝えるニュース映像を見る。自由を求めるハンガリー市民に共感した2人は純粋な哀悼の心から、クラスメイトに呼びかけて2分間の黙祷をするが、ソ連の影響下に置かれた東ドイツでは社会主義国家への反逆とみなされてしまう。

ベルリンの壁建設前夜の東ドイツを舞台に、無意識のうちに政治的タブーを犯してしまった高校生たちに突きつけられる過酷な現実を、実話をもとに映画化したドイツ産の青春ドラマの佳作。
当時の若者たちを主人公に、東ドイツの政治的な抑圧を敵と見做して物語が描かれているのだが、個人的にはジェネレーション・ギャップを描いた映画だと感じた。

映像で見ると、いわゆる戦没者の冥福を祈る「黙祷」とは違って、「こんな争いは間違っている」という「無言の抗議」に見える。
戦後11年も経過して、若者たちはナチスドイツによる虐殺や戦争犯罪も忘れかけた子どもたちだ。
ましてや反抗期もあって、東ドイツの社会主義(管理主義)体制は窮屈なものに感じていただろう。
西ドイツで娯楽映画を見て、西側のラジオ放送に言論と表現の自由に憧れている。

その自由に憧れているからこそ、彼らの「黙祷」は、授業中の先生へのイタズラのような軽いノリだ。
まさか、大人が「それは国家への反逆行為だ」と本気で怒るなんて誰一人思わなかっただろう。

焦った彼らは知恵を絞って、「憧れの有名サッカー選手が死んだと聞いたから、政治的意図など無い」というテオの発案で誤魔化そうとする。
進学クラスに入れてくれた保護者への恩と自分の将来に傷が付くことを恐れた若者たちは保身に走る。

だが、彼らにとって予期せぬ大事となる展開。
校長の注意だけでは止まらず、人民教育相と調査官が学校に現れ、「1週間以内に首謀者を明らかにせよ」と宣告された生徒たち。

本作に出てくる偉そうで不遜な態度の大人たちは、今の時代では完全に悪役に見えるだろう。
しかし、彼らにも正義がある。
国家を担うはずのエリートたる進学クラスの生徒が資本主義に毒されてはいけないのだ。
生産手段を国が保有することで国民全てに公平公正な社会の実現を目指す社会主義は、全体主義であり国家に異論を唱えたり反抗することは許されない。
逆を言えば、国を管理する上層部が心変わりすれば、すぐさま転覆しかねない脆さも兼ね備えている。

なぜベルリンが分断されたか?
なぜ東ドイツが社会主義を信奉しているのか?
理想とする体制を維持しなければならない苦労などが、大人たちの口からは語られず、表現不足ではあるのが難点だが、エリートの思想が変わるのは国家の一大事だと捉えている。

本作は、戦争に負け、やっと築いた理想の社会を維持しようと苦労を重ねてきた大人と、その苦労と戦争を知らない子どもたちとの価値観の差の戦いに見える。

とはいえ、やはり若者には力が無い。
仲間を密告してエリートとしての道を歩むのか、信念を貫いて大学進学を諦めるのか、人生を左右する重大な選択を迫られる。
こんな思想の束縛は間違っていると、信念と保身の間で揺らぐ若者たちの葛藤。

印象に残るのは、クラスメイトの一人で父親をナチスと戦った英雄だと信じるエリックの葛藤。
女性調査官はエリックを呼び出すと、彼の父は実はナチスに寝返って処刑されたという事実を付きつけ、衝撃を受ける彼に新聞に公表されたくなければ、首謀者を売れという件。
そしてエリックは射撃の授業中に教師を撃って怪我を負わせてしまう。
エリックの信じていたものがガラガラと崩れていく様子が、社会主義への信奉が崩れる様とリンクする。

その夜、女性調査官は市会議員であるクルトの父の元を訪れ、傷害罪で懲役10年の刑をくらうであろうエリックに罪を擦り付ける提案をしてくる。
もはや大人たちの側に正義は無く、誰か人柱となる犠牲者を出して、体裁を守れれば良いのだと、こちらも保身に走る。

完全に目的から外れ、抑圧する国家に失望したクルトは仲間を売りたくないと望み、母親はクルトに西ドイツへ逃げることを勧める。
クルトが逃亡した翌朝、女性調査官はクラス全員にクルトが首謀者であることを告発するよう命じる。
だが、テオを始め、クラスの全員がクルトを庇って自分が首謀者であると告げ、全員退学を告げられてしまう。

友情を守ろうする若者の信念が美しく映る。
その後、彼らのほとんどは列車に乗って、目的を偽り、西ドイツに脱出。
逃げた全員は無事卒業試験を受けることができたとテロップが流れ、映画は終わる。

描かれた内容は半世紀以上も前の話だが、現在でも依然として言論の不自由や抑圧による統制がまかりとおっている国はある。
彼らは邦題の通り「列車に乗った」が、残された家族や友人は迫害されなかったのだろうか?

若者の友情の美しさと信念が強調されてはいるが、大人の側がなぜそこまで抑圧をしなければならないのか?大人としての言い分が無いのが残念。
国のやり方を憂う若者に、大人目線の説諭があって然るべきではなかったか?

味方の辛さばかりを描いて、敵の主義主張や背景が見えない戦争映画と似た構図になってしまっているのが残念。

ゆえに世代間の歪みが強調された作品だと感じてしまう。
ただ、作品に込められたメッセージは良く分かる。
それは「旧態依然とした社会を打破して、新たな時代を作るのはいつも若者たちであり、保守的な大人たちは彼らの価値観に耳を傾けなければならない」ということなのだろう。
その意味で若者たちの戦いは無駄ではなかった。
そう思える作品である。

ナチスドイツの熱狂から覚めたドイツだからこそ、正しく在らんとする若者たちに共感する。
軍国主義から目覚めた日本人でもありそうな世代感の相違に共感できるで話ある。
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