Eryyy678

スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホームのEryyy678のネタバレレビュー・内容・結末

5.0

このレビューはネタバレを含みます

20年の集大成は、ファンサービスの集大成。

サム・ライミ監督版のスパイダーマンが公開された当初は、まさか本作「ノー・ウェイ・ホーム」のような映画が作られるとは夢にも思わなかった。しかしこれは、映画史におけるスパイダーマンサーガを丁寧に紡いできたからこそ、出来ることでもあるわけなのですね。

「アメイジング」シリーズを知らない。あるいは「アメイジング」を知っていても「サム・ライミ版」を知らないという人もいるでしょう。ならばこの映画を観る前に、それらを観ていなければ、感動は半減してしまう。

「グリーンゴブリン」に始まり、グリーンゴブリンに終わる。やはり映画スパイダーマンの悪役、といえば。このグリーンゴブリンがあまりに鮮烈に、記憶に残っています。

ウィレム・デフォー演じるゴブリン。彼ほどの禍々しさと、恐ろしさ、そして哀れみ醸し出す人間は、スパイダーマン映画史の中で、至上のヴィランと言えるかもしれません。存在感が桁違いなの、ですよね。

本作で彼(グリーンゴブリン)の声を聴いた時に感じたのは、恐怖と興奮。そして脳裏から絞り出されるような懐かしさ…でした。

デフォーは優しい顔も巧い俳優。だからこそゴブリンの本性が垣間見えた時の恐ろしさも、際立つ。
あーでもやっぱり、スクリーンで再開できたことの喜びが勝る。
彼を助けてあげてって、終始思わずにはいられなかった。ゴブリンに支配されたノーマン・オズボーンを。

そしてこれは、「救済」の物語でもある。それは身体的な意味でも、内面的な意味でも。
旧シリーズで「不可逆的」に破滅的な運命を辿るしかなかった悪役達が、肉体も心も救われた。


だけど対照的に、「変わらない」こともあった。


肝心なのは、多元的次元という「何でもあり」な設定においても、
ベンおじさんやグウェンやメイおばさんを生き返らせることは、しなかったことです。

大切な者の「死」が、スパイダーマンを成長させ、スパイダーマンをスパイダーマンたらしめた。

「喪失」を「受容」して生きていく。そのスパイダーマンという作品の肝を、最後まで守り切ったわけです。

スパイダーマン達は救われたのか?という話について。彼らは自らの「行動」によって、誰かの死を救うことが出来た。それが彼らへの「救済」だったんじゃないかと、思います。彼らは、自分自身を救うことができたのですね。


″大いなる力には、大いなる責任が伴う″


責任を行使できずに散っていた悪役達への、リセットとリバースという救済。
そして″責任″と共に、これからも生きていくスパイダーマン 達への優しい「機会」。
「やり直させる」のではない。でも「救うことが出来た」という体験は、心の救済以外の何者でもないと、私は思います。

書ききれないことが、いろいろとある。

キャラクターへの思い入れが強いだけ、非常にレビューに困る映画です。

過去をやり直すことは出来ないが、世界はつながっている。それぞれの世界の住人は、お互いのことを知らないが、ファンはすべてを知っている。それを、20年もかけて。
「ノー・ウェイ・ホーム」で起きたことは横軸だけど、ファンは20年という縦軸で、すべてを見てきた。私も、アメコミ作品に興味ない時代から、スパイダーマン映画だけは欠かさずに。

そしてそれぞれの「スパイダーマン」が置いていった哀しみやら、苦しみの残滓に、踏ん切りをつけてきたわけです。


それなのに、戻ってきた。


「懐かしい顔」が次々と。

新たな結末を提示して。

心に空いていた穴を、埋めてくれて。


だからもう、スッキリしました。

本当にそれだけで、じゅうぶんです。
Eryyy678

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